2019年06月26日

幸福の条件

「プラトン」 斎藤忍随 講談社学術文庫 1997年

(11)ゴルギアス より

ソクラテスとカリクレースとの対話 p257〜

 「…さて、ぼく(ソクラテス)としては、僕の立場、僕の主張は今まで述べた通りのものであるとし、さらにそれが真実であることをことわっておきたい。すなわち、幸福でありたいと願う以上、人は思慮節制の美徳を追い求め、その実践にいそしむべきであるが、放埓からは我々各々の脚力の限りを尽くして速やかに逃れ出るべきであって、懲罰などいささかも必要としないだけの準備を極力、努めるべきであるが、もし懲罰が必要な場合に当面したならば、その対象が自分自身とか、家族のうちの他の誰かとか、あるいは個人とか、国家とかの区別なく、とにかく、その者が幸福であろうとする限り、裁きに伏して懲罰を受くべきである。これこそ、ぼくの考えでは、生きていく際の常に注目すべき標的であって、私事と国事との別なく、万事の方向をひたすらこの標的に置きながら、幸福を願う以上は正義と思慮節制の美徳の修得を志して行為しなければならない。かりにも欲望をほしいままの姿にさらしておき、その充足をはかるなどは、それこそ際限なき悪であり、そうした盗賊の生涯を生きるような振舞いがあってはならないのである。そのような人間では、他人にも、神にも愛されるはずがないのである。なぜならば、そうした人間は交わりを結ぶことが不可能であり、交わりのない所に友愛の成り立つはずはないからである。要するにだね、賢者たちの言葉では、カリクレース天をも地をも、神々をも結合して一体化せしめているのは交わりであり、友愛であるとなっており、だからこそ、賢者たちは全体としてこの宇宙にコスモス(秩序)という名前を与えているのだよ、君。無秩序とも放埓ともなっていないのだね。」

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posted by Fukutake at 11:04| 日記

2019年06月24日

民主制とは

「プラトンの呪縛」二十世紀の哲学と政治  佐々木 毅  
    講談社学術文庫 2000年

p365〜
 学術文庫版あとがきにかえて「プラトンと現代」から

 「プラトンといえば誰でも聞いたことがあるのが哲人王という主張である。すなわち、哲学者たちが支配者になるか、支配者が本当に哲学を愛するようになる場合にのみ、人類は禍と不幸から解放されるという主張である。これは空想的な政治論の典型、ユートピア思想の原型とみなされてきた。
 もう少しプラトンの主張を検討してみると、ここで想定されている人物は優れた理解力や記憶力に加え、節度や勇気を持ち、何よりも度量の大きさといった素質を持ち、全ての存在について真理を求めようとする愛智者(哲学者)である。
 彼はそうした素質を持つ人間が稀であり、ある意味で相矛盾した資質の持ち主であること。優れた資質の持ち主も周囲の悪い環境に影響されて、しばしば恐るべき禍をもたらす人間に変貌し得ること、その上、世間が哲学者を「役立たず」と考えるため、そうした堕落が容易に生ずることを繰り返し述べている。その意味では哲人王は多くの僥倖によって初めて可能であることはプラトンにとっても当然のことであった。
 この観点から見て、民主制における政治家のあり方はどうか。プラトンによれば、ここでは政治に携わる人間の資質とかその過去の経験とかは全く問題とならない。「ただ大衆に好意を持っていると言いさえすれば、それだけで尊敬される」という「おおらか」で「寛大な」政治体制というのである。
 彼の有名な比喩によれば、民衆は図体は大きく腕力は強いが、やや耳と目が不自由で船のことに通じていない船主であり、政治家は船の舵を取り仕切ろうと互いに争い合っている水夫たちである。
 この水夫たちは操舵術を学んだわけでもなく、学習可能だとも考えない人々であるが、船主にあらゆる手段を尽くして自分に舵を任せてくれと頼み込み、互いに殺し合いをしたり、船主に「眠り薬を飲ませたり、酒に酔わせたり」して動けなくして船の支配権を握る。そして後は荷物を勝手に使いながら、「飲めや歌えの大騒ぎ」の体で舵取りをしていくというのである。これに対して哲人王は「本当の操舵術」を体得した政治指導者に他ならない。
 ここから民主制における政治指導者の調達につきまとう絶望的な「危うさ」に対する警告が出てくる。」

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今も昔も、…。
 

posted by Fukutake at 12:22| 日記

2019年06月19日

人間の運命

汝自身を知れ」古代ギリシャの知恵と人間理解  三嶋 輝夫 
  NHK出版 2005年

(その2)
p426〜
 「アテナイの客人よ、そなたが私をそのような庶民のものどもにも及ばぬとしたところを見ると、そなたは私のこの幸福は何の価値もないと、おもわれるのか」

 この難詰に答えて、ソロンは言います。

 「クロイソス王よ、あなたは私に人間の運命ということについてお尋ねでございますが、私は神と申すものが妬み深く、人間を困らせることのお好きなのをよく承知いたしております。人間は長い期間のあいだには、いろいろと見たくないものまで見ねばならず、遭いたくないことにも遭わねばなりません。人間の一生を仮に七十年といたしましょう。七十年を日に直せば、閏月はないものとしても二万五千二百日になります。もし四季の推移を暦に合わせるために、一年おきに一か月だけ長めるといたしますと、七十年に三十五か月か月の閏が入ることになり、これを日に直せば千五十日となります。
 さてこの七十年間の合計二万六千二百五十日のうち、一日としてまったく同じことが起こるということはございません。されば、クロイソス王よ、人間の生涯はすべてこれ偶然なのでございます」

 ここではまず、人間の運命を操る神が決して人間に好意的でないこと、まさにイオカテスの言葉にあったように、この世を支配するのは偶然であることが強調されています。そしてソロンはこの世界観に立って、クロイソスの身の上についても次のような批評を加えます。

 「あなたが莫大な富をお持ちになり、多数の民を統べる王であられることは、私にもよく判っております。しかしながら今お訊ねのことについては、あなたが結構なご生涯を終えられたことを承知致すまでは、私としましてはまだ何も申し上げられません。どれほどの富裕な者であろうとも、万事結構ずくめで一生を終える運に恵まれませぬかぎり、その日暮らしの者より幸福であるとは決して申せません。腐るほど金があっても不幸なものもたくさんおれば、富はなくとも良き運に恵まれる者もたくさんおります。(中略)
 いかなる事柄についても、それがどのようになっていくか、その結末を見極めるのが肝心でございます。神様に幸福を垣間見させてもらった末、一転して奈落に突き落とされた人間はいくらでもいるのでございますから」

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こう言われても反省しないのが人間の性。
posted by Fukutake at 11:51| 日記