「人生最後の食事」 デルテ・シッパー 著 川岸 史 訳
シンコー・ミュージック 2011年
p147〜
「ホスピスの食事には複雑な事情や、何重もの意味があることがしだいにわかってきた。ほんの少しのスクランブルエッグが、そのときの精神状態しだいで、生きる希望の最高峰になったり、死への恐怖を引き起こしたりする。ループレヒト(元二つ星レストランシェフ)は毎日後悔しないよう、責任感をもって仕事をしている。「料理人としてではなく、人間として修行を積めればいいなと」
そう思えばこそ、困難なときも乗りきれる。ホスピスを走りまわり、むなしくドアをたたきつづけるとき。口がすっぱくなるほど料理の説明をしても誰も食べてくれないとき。誰も食べたいものを注文してくれないとき。粥状のマッシュポテトやミルクスープしか注文されないとき。入居者たちが食欲がないときは、入居者の家族や同僚に料理を出して、プロとしての矜持をなぐさめる。
ホスピスで働いていると、レストランで働くよりストレスがたまる。だから考え方を変えるしかない。高度な料理を手早く作ろうという発想はやめた。「昔、勤務態度を高く評価されたことがあります。勤務証明書と知人の紹介で次の店に移るのがふつうですが、僕はたしかに料理の腕も立つが、それだけではないと言われました。誰しも仕事をするとき、やる気の出る何かがほしいものですよね。僕もここで料理だけしていたのでは物足りなくなるでしょう。
自分の殻に引きこもりたくなるほど、どん底に落ちこむときもあります。でもここで扉を閉め切って料理に没頭するなんて、うぬぼれているどころか何もわかっていないバカのすること、そうなる前に、荷物をまとめてさっさとここを出ていくべきです。ここでは入居者が最後の時間を幸せに過ごすことが優先されるべきなので、自分の能力を見せつけたがる調理師なんかいらないんです。まず皆さんに受け入れてもらうこと、そして関係を築く中でその人が何を求めているか、僕に何をしてほしいと思っているかを見きわめること。僕が全力を尽くすべきはそういうことです。」」
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2019年05月29日
神のウソ
「人生最後の食事」 デルテ・シッパー 著 川岸 史 訳
シンコーミュージック・エンタテイメント 2011年
ポスピスでの食事
元二つ星レストランのシェフがホスピスで料理長として活躍している実話
p65〜
「少し前に、シェフにとってはいちばん難しいケースを経験した。新しく入居してきた老婦人が、匂いをかぐことも味を感じることもできなかったのだ。ループレヒト(シェフ)が自己紹介するために部屋を訪れたとき、こんな言葉で出迎えられた。「もう放っておいてよ!」、彼女は悪口雑言の限りをつくしたあとようやく何か気のきいたものを皿にのせてもってこい、宇宙食みたいな病院の食事はまっぴらだと言った。彼女にとって食事は、生きるために呼吸をするのと同じぐらいのものでしかなかった。化学療法のせいで味覚神経がおかしくなっていると知っていれば、あるいは違ったろうか。
ループレヒトは彼女が言った一言一句も、それを言われた自分の反応もすべて覚えている。「その部屋から出て行くとき、自虐的な考えを抱きました。『いいじゃないか、味のわからない相手に作るなんて… シェフにとっては楽だし、好都合じゃないか』。この条件で美味しいものを食べさせてあげるなんて不可能だと思ったんです」
ループレヒトはどんな料理を出そうが変わらないという思いにとらわれた。だから彼女に出す料理は手を抜くことにした。味つけなんて必要か?味がわからない相手に!流動食しか食べられないという点も、事態を悪くしていた。それこそインスタントスープで十分じゃないか。ダンプリングなんか出したらのどに詰まらせるかもという現実的な不安もあった。
悩みながらキッチンに戻ると、覚悟が決まった。どうせならとことんまでやってやろうと思った。ルーピレヒトは新鮮な材料を使って最高の野菜スープを作った。マジョラムとロベージと数種のスパイスで味つけした。マイスター検定審査にかかわる問題であるかのように真剣に作った。「彼女は車イスで下まで連れてこられました。テーブルの前に座り、スープをひとさじ飲んでみたところ、セロリの香りを感じたようでした。でもそんなことはありえないはずなんです。だって僕はそのときセロリを使っていなかったんですから」 ループレヒトは彼女に真実を伝えるべきかしばし思案した。
だが彼女の様子を見て、それはやめておこうと思った。誇らしげな表情を台無しにすることもあるまい。わざわざ言うのは野暮というものだ。「『いえ、あなたの体の具合は少しも変わっていません。味がわかると思うのはただの錯覚ですよ』なんて台詞を言うべきでしょうか? 何のために?僕は、ほんのわずかでも彼女が幸せを味わえる瞬間を尊重したかった。信じたままでいてほしかったのでこう答えました。」『そう、ほんの少しセロリを入れたんですよ』」
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シンコーミュージック・エンタテイメント 2011年
ポスピスでの食事
元二つ星レストランのシェフがホスピスで料理長として活躍している実話
p65〜
「少し前に、シェフにとってはいちばん難しいケースを経験した。新しく入居してきた老婦人が、匂いをかぐことも味を感じることもできなかったのだ。ループレヒト(シェフ)が自己紹介するために部屋を訪れたとき、こんな言葉で出迎えられた。「もう放っておいてよ!」、彼女は悪口雑言の限りをつくしたあとようやく何か気のきいたものを皿にのせてもってこい、宇宙食みたいな病院の食事はまっぴらだと言った。彼女にとって食事は、生きるために呼吸をするのと同じぐらいのものでしかなかった。化学療法のせいで味覚神経がおかしくなっていると知っていれば、あるいは違ったろうか。
ループレヒトは彼女が言った一言一句も、それを言われた自分の反応もすべて覚えている。「その部屋から出て行くとき、自虐的な考えを抱きました。『いいじゃないか、味のわからない相手に作るなんて… シェフにとっては楽だし、好都合じゃないか』。この条件で美味しいものを食べさせてあげるなんて不可能だと思ったんです」
ループレヒトはどんな料理を出そうが変わらないという思いにとらわれた。だから彼女に出す料理は手を抜くことにした。味つけなんて必要か?味がわからない相手に!流動食しか食べられないという点も、事態を悪くしていた。それこそインスタントスープで十分じゃないか。ダンプリングなんか出したらのどに詰まらせるかもという現実的な不安もあった。
悩みながらキッチンに戻ると、覚悟が決まった。どうせならとことんまでやってやろうと思った。ルーピレヒトは新鮮な材料を使って最高の野菜スープを作った。マジョラムとロベージと数種のスパイスで味つけした。マイスター検定審査にかかわる問題であるかのように真剣に作った。「彼女は車イスで下まで連れてこられました。テーブルの前に座り、スープをひとさじ飲んでみたところ、セロリの香りを感じたようでした。でもそんなことはありえないはずなんです。だって僕はそのときセロリを使っていなかったんですから」 ループレヒトは彼女に真実を伝えるべきかしばし思案した。
だが彼女の様子を見て、それはやめておこうと思った。誇らしげな表情を台無しにすることもあるまい。わざわざ言うのは野暮というものだ。「『いえ、あなたの体の具合は少しも変わっていません。味がわかると思うのはただの錯覚ですよ』なんて台詞を言うべきでしょうか? 何のために?僕は、ほんのわずかでも彼女が幸せを味わえる瞬間を尊重したかった。信じたままでいてほしかったのでこう答えました。」『そう、ほんの少しセロリを入れたんですよ』」
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posted by Fukutake at 13:51| 日記
2019年05月27日
プラトンの宇宙
「プラトン」 ジャン・プラン 戸塚七郎訳 文庫クセジュ 白水社
(その3)
p100〜
「プラトンは言う。われわれが住んでいる大地は、大地の全体を表すものではない。中心を同じくする三つの大地があって、その一つはわれわれの大地の上の方にあり、いま一つは下方にある。一部外側の大地は純粋な大地、楽園である。だが、われわれはそれを見ることができない、というのは、われわれはその大地の凹地の一つに住んでいるからである。そしてわれわれの状態は、ちょうど、海の底に住んでいて、海底を地表だと考え、海面を天だと思いこんでいるような人間が置かれている状態である。かの純粋な大地は、それの上方に置かれた目撃者の目には、まるで、さまざまな彩どりのあおり革でできた鞠(まり)のごとき外観を呈している。そこでは、諸々の星が空中ではなくてエーテルの中を運行してる。そこでは、すべてのものがより美しく、また、人間もそこでは病気を知らない、そして彼らは、自分たちに未来を明かしてくれる神々と、面と向かって語り合う。
われわれの大地は、この外側にある大地の凹地にすぎない。われわれがここで呼吸する空気は、エーテルから棄てられた沈殿物でしかない。ここでは病気や破壊が支配する。
一番下の大地は目に見えないものの世界である。われわれの眼から消えてゆく川の流れの落ち込む先は、じつにこの大地である。内部にある凹のすべては、タルタコスを通って相通じてる。この最も低い大地は贖罪の国であり、それはまた、ハデスの住家である。死者はこの地で裁かれる、だがここに取り残されるのは罰を課せられたものだけである。
死者は四つの型に分けられる。最も正しい者、つまり愛知者は、神々の近くで肉体なしの浄福な生活を送りに行くのであろう。正しかったり不正であったりしたものは、アケロン川やアケルシアス湖の方に行き、自分が犯した過失の償ないをし、また、善き行ないに対する報いを受けるであろう。そして、とにかく長い間かかって罪を浄めてから、再び生成の周期の中に投げ込まれるであろう。憤りにかられて罪を犯した者は、燃え立つ焔の流れにピュリプレゲトン川やコキュトスの流れに向かって行くであろう。それから、アケルシアス湖の上にいる彼らの犠牲者に恕しを懇願するであろう。もし犠牲者たちは彼らを恕してやるなら、彼らの苦しみはそれで終わるが、そうでなければ、彼らはタルタコスへ落とされるのである。その罪が恕されがたい者は、タルタコスへ落とされて、もはやそこから脱け出ることはないであろう。」
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プラトンの輪廻図
(その3)
p100〜
「プラトンは言う。われわれが住んでいる大地は、大地の全体を表すものではない。中心を同じくする三つの大地があって、その一つはわれわれの大地の上の方にあり、いま一つは下方にある。一部外側の大地は純粋な大地、楽園である。だが、われわれはそれを見ることができない、というのは、われわれはその大地の凹地の一つに住んでいるからである。そしてわれわれの状態は、ちょうど、海の底に住んでいて、海底を地表だと考え、海面を天だと思いこんでいるような人間が置かれている状態である。かの純粋な大地は、それの上方に置かれた目撃者の目には、まるで、さまざまな彩どりのあおり革でできた鞠(まり)のごとき外観を呈している。そこでは、諸々の星が空中ではなくてエーテルの中を運行してる。そこでは、すべてのものがより美しく、また、人間もそこでは病気を知らない、そして彼らは、自分たちに未来を明かしてくれる神々と、面と向かって語り合う。
われわれの大地は、この外側にある大地の凹地にすぎない。われわれがここで呼吸する空気は、エーテルから棄てられた沈殿物でしかない。ここでは病気や破壊が支配する。
一番下の大地は目に見えないものの世界である。われわれの眼から消えてゆく川の流れの落ち込む先は、じつにこの大地である。内部にある凹のすべては、タルタコスを通って相通じてる。この最も低い大地は贖罪の国であり、それはまた、ハデスの住家である。死者はこの地で裁かれる、だがここに取り残されるのは罰を課せられたものだけである。
死者は四つの型に分けられる。最も正しい者、つまり愛知者は、神々の近くで肉体なしの浄福な生活を送りに行くのであろう。正しかったり不正であったりしたものは、アケロン川やアケルシアス湖の方に行き、自分が犯した過失の償ないをし、また、善き行ないに対する報いを受けるであろう。そして、とにかく長い間かかって罪を浄めてから、再び生成の周期の中に投げ込まれるであろう。憤りにかられて罪を犯した者は、燃え立つ焔の流れにピュリプレゲトン川やコキュトスの流れに向かって行くであろう。それから、アケルシアス湖の上にいる彼らの犠牲者に恕しを懇願するであろう。もし犠牲者たちは彼らを恕してやるなら、彼らの苦しみはそれで終わるが、そうでなければ、彼らはタルタコスへ落とされるのである。その罪が恕されがたい者は、タルタコスへ落とされて、もはやそこから脱け出ることはないであろう。」
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プラトンの輪廻図
posted by Fukutake at 08:51| 日記