「生きものとは何か」世界と自分を知るための生物学 本川 達夫
ちくまプリマー新書 2019年
生物のデザインからみた現代文明
拡大版利己主義のすすめ p295〜
「…長寿を支える医療や介護は赤字国債によりまかなわれているが、これは次世代の資産を奪う行為である。現在人は赤字国債で寿命を買っており。この調子で国債を発行し続ければ、いずれ国家財政は破綻して医療費をまかなえなくなり、結局、寿命も短くなるのではないか。孔子曰く<老いて死せず、これを賊となす>(「論語」憲問)。賊とは泥棒のこと。今の高齢者は次世代の寿命を盗んで長生きしている時間泥棒なのかもしれない。
泥棒は高齢者だけではない。現在社会は大量のエネルギーと資源を使うことにより成り立っているが、石油やレアメタルなどは限りがあり、次世代の使うべき資源を食いつぶしながら皆が生活しているのである。地球温暖化や原発事故による長期の環境悪化も、住み場所という資源を「食いつぶして」次世代が使えなくしている行為だと言っていい。だから全員が泥棒。現代は泥棒社会なのである。
そうなるのは現代が功利主義の社会だから。功利主義においては、他人に迷惑をかけない限り自由。そして他人とは「迷惑だ」と裁判に訴える可能性のある人のことである。まだ生まれていない世代は訴訟を起こせないから、次世代に配慮する必要はない。功利主義とは、しかたなくまわりと妥協している利己主義なのであり、利己主義(エゴイズム)が基本となっているのが現代社会なのである。そんな現代で「利己主義はいけない、次世代に配慮して長生きを自粛せよ、資源の枯渇や環境に配慮してもっと省エネの生活(つまり不便な生活)にあまんじよ」と言っても通用しない。
そこで「利己主義、大いに結構、ただし利己の己を考えてほしい」という言い方で現代人にアピールしたい。生物学的に考えれば、子は私、孫も私であり、私(己)を時間的に拡張して、<私>=<己>として捉えようというのが本書の考えだった。今の自分だけよくても、子の<私>、孫の<私>がみじめなら、三代の<私>の幸せ度の合計は下がってしまう。そこでトータルの<己>を利する利<己>主義(=「拡大版利己主義者」)になろうではないかというのが小生の提案。これは自分の世代だけのエゴイズムを野放しにすることなく、次世代をも大切にする発想である。となると長生きはダメとなってしまうのだが、そんな考えには誰もついてこないから、利<己>主義に寄与するならば長寿には許可証がおりると考える。』
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2019年04月15日
長生き許可状の交付!
posted by Fukutake at 09:13| 日記