2019年01月22日

自らに頼れ

「徒然草 第二一一段」

(現代語訳:「イラスト古典全訳 徒然草」 橋本 武  日栄社)p201〜

 「世の中のことはどんなことでも当てにしてはいけない。愚かな人はどんなことでも当てにしすぎるから、他人を恨んだり怒ったりするようになる。権勢があるからといって当てにはできない。強力な者から先に滅びやすいからである。財産が多いからといってあてにはできない。そんなものはあッという間になくなってしまうものだからである。学才があるからといって当てにはできない。聖人たる孔子でさえ時に遇わず、世に用いられることがなかったからである。徳行があるからといって当てにはできない。あの孔子に賞賛された顔回でも、不幸な生涯だったからである。
主君から寵愛を受けても当てにはできない。掌を返すように主君の怒りにふれて殺されることになりかねないからである。召使の者が忠実に従っているからといって当てにはできない。いつこちらを背を向けて逃げ出すかもしれないからである。他人の好意も当てにはできない。絶対に長続きはしないからである。約束事も当てにはできない。誠意をもって実行されることはほとんどないからである。
 我が身に関することも他人に関することも当てにしないでおれば、ことがうまく運んだ時には喜び、その反対に、思いどおりに運ばなかったからといって恨みに思うこともない。自分の身の回りが広ければ障害は起こらないし、前後が遠くはなれておれば行きづまりも生じない。その反対に、身の回りが狭く余裕がなければつぶれたりくだけたりするものである。自分の心配が至らなくて、しかもつきつめて考えている時は、どんな場合にも他人と衝突し争いを起こし自分が傷つく結果となる。この反対に、十分な余裕をもって柔軟に対応する時は、一毛といえども損することはない。
 人はこの宇宙において最も霊妙な働きをもったものである。そうして、この人間を容れている宇宙は無限なるものである。従って、人間の本性も、どうして宇宙の本性たる無限性と異なるところがあろうか。人間の本性が、かくのごとく寛(ひろ)やかで大らかで極まるところがないならば、たとい喜怒の情が生じても、この本性の障害にはならず。他人のために煩わされることはないのである。」

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結局頼るのは自分ひとり。
posted by Fukutake at 11:36| 日記

2019年01月21日

他人に頼るな

「徒然草 第二一一段」

「万(よろづ)の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒る事あり。勢ひありとて、頼むべからず。こはき者先ず滅ぶ。財(たから)多しとて、頼むべからず。時の間に失ひ易し。才(ざえ)ありとて、頼むべからず。孔子も時に遇はず。特ありとて、頼むべからず。顔回も不幸なりき。君の寵をも頼むべからず。誅を受くる事速かなり。奴(やつこ)従へりとて、頼むべからず。背き走る事あり。人の志をも頼むべからず。必ず変ず。約も頼むべからず。信ある事少し。
 身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。左右(さう)広ければ、障(さわ)らず、前後遠ければ、塞がらず。狭き時は拉(ひし)げ砕く。心を用ゐる事少しきにして厳しき時は、物に逆(さか)ひ、争ひて破る。緩くして柔かなる時は、一毛も損せず。
 人は天地の霊なり。天地は限る所なし。人も性(しょう)、何ぞ異ならん。寛大にして極まらざる時は、喜怒これに障らずして、物のために煩(わづら)はず。

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現代語訳は次回。
posted by Fukutake at 09:10| 日記

2019年01月17日

有色人種へ抜きがたい差別意識

「天を相手にする 評伝 宮崎市定」  井上 文則 
  国書刊行会 2018

P337〜

 「『中国のめざめ』は、宮崎(市定)にとっては自身が生きていた同時代の歴史であり、同時代史を書く以上は、「私は努めて私の皮膚で感じとった当時の雰囲気を後世に伝えたいと思う」という意気込みを持っていた。
 宮崎が「私の皮膚で感じとった当時の雰囲気」は、大きくは二つあったように思われる。一つは、この点については太平洋戦争原因論の所でも言及したが、植民地主義の時代にあって日本が「あらゆる方面で窒息しそうな、締めつけられた姿勢にあったこと」である。「当時の世界は今日とは違って、いたる所が列強の植民地であって、局外者は指一本ふれることを許されない。移民を送ろうとすればことわられ、商品を売ろうとすれば締め出される。軍備がなければすぐに付けこまれる」という状況に日本は置かれていたのである。もう一つは、白人優越主義である。宮崎は言う。「時計の針を五〇年ほど、逆まわりさせた二〇世紀初頭において、白人優越主義がいかなる程度であったかは、昭和生まれの若人には想像ができないであろう。もちろん、こういうことはすでにすんでしまったことであるから、改めて関心をよびさますのは本当は面白くないことなのである。しかし、当時の歴史は、困ったことに、それに触れないでは本当に理解できないのである」。宮崎の考えでは、十九世紀と二十世紀を区別する特徴の「最大なもののひとつ」として、「有色人種の自覚」があり、この有色人種の自覚は二十世紀の初頭に日露戦争を通して日本人が呼び覚ましたものであった。
 また同時代史である分、宮崎には思うところが多くあったようであり、あの時、こうしておけば、こうはならなかった。あるいは少しは事態の成り行きが変わっていたのではないかという感慨が『中国のめざめ』ではしばしば吐露される。例えば一九一一年の辛亥革命は袁世凱と妥協することで中途半端なものとなったが、「いまから思えば、革命軍はその目標をひとつに絞って、攻撃すべきものは腐敗しきった北京政府にあるとし、袁世凱を含めて根こそぎ打倒すべきであった。そのためには、異民族居住地の属領などは一時的に手放してもよかったのではないか。外国から金を借りでもよかったのではないか。さずがに孫文などはそういう考えであったが、どうもその方が正しかったと思われる」と述べる。特に宮崎は中国が清朝の領土にこだわったことが後々まで禍根を残したと考えていた。このような感慨はやはり日本に関わる部分で多い。この点も太平洋戦争の原因論との関わりで述べたが、『中国のめざめ』でも、当時のアメリカの執拗な日本敵視政策とこれと表裏の関係にあった中国への肩入れに対しては、宮崎は憤りを隠さない。日中関係が最終的に破局に至ったのも、「第三者たるアメリカのけしかけがなかったならば、こうまではならずに済んだところであった。[中略] 国民政府が倒れて中共政府が出現するに至ったのも、結局はアメリカの行きすぎた努力に負うところが多かったのだ。およそ一国の外交政策として、他の二国を離間して自国が良い子になって甘い汁を吸おうとするようなことはたとえそれが義憤に出たつもりであっても、減に慎まなければならないことだ。[中略] さすがにアメリカのライシャワー元大使は、日本と中共とのあいだで貿易を盛大にしろ、という。もしアメリカが五〇年前からこういう方針でアジア外交を推進していたなら、世界の歴史はだいぶん変わっていたはずである」。宮崎の考えでは、アメリカは中国に深入りしないのがいつの時代でも一番賢明なのである。」

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米国が世界を地獄に落とした。



posted by Fukutake at 11:41| 日記