2018年11月08日

ハル・ノート

「共同研究 パル判決書(下)」 東京裁判研究会編 
  講談社学術文庫 1984年
(その8)

米国の最後通牒

 p440〜

 「(一九四一年)十一月二十六日付のハル覚書と同年六月二十六日の米国の提案の各条件を、並列して比較してみよう。するとつぎのようになる。

十一月二十六日
大丸1︎ 多数国間の不可侵条約
大丸1︎ 仏印に関する多数国間の条約

大丸1︎ 日本の陸、海、空軍および警察の中国および仏印からの即時および無条件の撤退
大丸1︎蒋政府以外の中国政府または政権の否認 (日独伊)三国同盟条約の破棄
大丸1︎中国における治外法権、租界および団匪事件にもとづく権利の放棄

六月二十一日案三三一
(該当なし)
(該当なし)
大丸1︎ 日本軍隊の中国からの撤退についてその時期および条件は今後さらに討議する(仏印について該当なし)
大丸1︎ 満州国に関する友誼的交渉
大丸1︎ 日本は三国同盟の解釈において、米国の自衛行動に対しては三国同盟は発動しないという、米国にとって満足すべき解釈をなす。
(該当なし)

 被告はこの覚書を最後通牒と考えた。ある被告の指摘したように『このような政治的条件あるいは事態は、おのずから朝鮮地域まで影響を及ぼすであろう。』換言すれば、日本は朝鮮から撤退しなければならない窮地に追い込まれたであろう。
 日本の大陸における権益はまったく水泡に帰し、日本のアジアにおける威信は地に墜ち、『対外的情勢においては、今日の日本の状況になるといっても差しつかえないわけであります。これはすなわち満州事変の情況よりも日本の状態は非常に悪くなって…それ以上に日露戦争前の状況に還れという要求であります。これはすなわち日本の東亜における大国としての自殺である云々』
 現代の歴史家でさえも、つぎのように考えることができたのである。すなわち『今次大戦についていえば真珠湾攻撃の直前に米国国務省が日本政府に送ったものと同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国にたいして戈をとってたちあがったであろう』。
 現代の米国歴史家はつぎのように述べている。すなわち
 『…日本の歴史、制度と日本人の心理についてなんら深い知識を持たなくても、一九四一年十一月二十六日の覚書についてつぎの二つの結論を下すことができた。第一に日本の内閣は、たとい「自由主義的」な内閣であろうと。また「反動的な」それであろうと、内閣の即時倒壊の危険もしくはそれ以上の危険を冒すことなしには、その覚書の規定するところを交渉妥結の基礎として受諾することはできなかったであろう。第二に、米国国務省の高官、とくに極東問題担当の高官はすべて右の覚書が作成されているときに日本政府が「太平洋の平和維持を目的」とする会議再開のプログラムとしては、この覚書をとうてい受諾しないであろうということを感知していたに相違ないのである。同時にまたルーズベルト大統領とハル国務長官が東京(日本政府)はこの覚書の条項を受諾するだろうとか、またこの文書を日本に交付することことが、戦争の除幕になることはあるまいと一九四一年十一月二十六日(の遅きにいたって)考えるほど、日本の事情にうとかったとは、とうてい考えられないことである。』

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日本を戦争に引きずり込む悪辣な企図、すなわち全面的共同謀議が米国にこそあった。

posted by Fukutake at 13:17| 日記