2018年10月05日

ナショナリズムとは

「アジア史概説」 宮崎 市定 著    中公文庫 1987年
(その3)

同書 結語より 500p〜

 「…インドと日本の世界史上の位置ははなはだ似たようなものがある。日本は徳川幕府の創立(一六〇三年)から、インドはムガール帝国の成立(一五二六年)から、近世史に入ったとみるべきであるが、その絶対年代のはなはだ遅れたにもかかわらず、そこには近世的なものに伍して、濃厚な中世的色彩をもつ事象が根深くはびこっていた。しかもインドは喜望峯航路により、日本は太平洋航路の出現により、にわかにヨーロッパ勢力渡来の衝に当たったため、いち早く最近世文化の洗礼を受けなければならなかった。日本の明治維新(一八六八年)と、インドのイギリス領インド帝国成立(一八五八年)とがその外貌のはなはだ相違しているにもかかわらず、本質ではあい通づるものがあり、ともにそれぞれの最近世史の発端と見なすべきであろう。

 最近世史は、近世史を否定するアンチ・テーゼではなくて、近世史の継続であり、延長であった。近世史は中世的分裂を脱却して再統一に向かう任務を帯びたが、再統一にもっとも便利な道具として、ナショナリズムが取り上げられた。その結果、国民教育が普及し、分裂した個々の力が集積されて、偉大な業績をなしとげたのであるが、その半面にはまたナショナリズムによって無益な国民的対立が尖鋭化し、そのために精力を浪費しなければならない欠陥があった。最近世史の意義はあのフランス革命の標語に見るように、四海同胞主義に正しく現れているのであって、極端なナショナリズムはむしろ近世段階の残滓に過ぎないであろう。前後二回の世界大戦は、ナショナリズムの超克が世界人類にとってどんなに必要であるかをおしえた。元来ナショナリズムというものが、排他のために生まれたのではなく、再統一の方便としての意義しかもたないものであることを悟るならば、それは当然さらに新しい再統一に向かうためにみずからを制約することこそ、その本然の姿でなければならない。そして最近世史的発端は近世に始まった統一の機運を継続し完成することが、その究極の使命であることもまたおのずから了解されるであろう。」

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今後の世界を預言する思想。
posted by Fukutake at 12:05| 日記