2018年07月09日

英国の貪欲

「中国文明の歴史」−中国の目覚めー(その1)
 宮崎市定 中公文庫 2000年

 日本の外交について

254p〜
 
 「日本の外交は明治以来、追随外交と称せられた。先進国に対してははなはだ卑屈な態度で終始したので評判が悪かった。しかしながら当時の日本の国力を考えればこれはやむをえなかった。誰しも卑屈は好むところではない。だが、卑屈に見えるくらいであったればこそ、虚心に先進国の文明を取り入れることができたのであった。これを現今の新興国と比べてみると、かれらはあまりにも身分不相応に自尊心が強すぎはしないか。堪え難きを忍ぶという忍耐心がなさすぎるようだ。現今のわれわれとしては、惨憺たる苦心をして日本をここまで持ってきた祖先の努力に敬意を払うべきではあるまいか。
 日本の外交が先進国に対して卑屈な反面、後進国に対してははなはだ尊大であったという批判はしばしば耳にするし、またその通りであった。しかしこれも、そのようにしなければならぬ現実の状態であったことを考慮に入れねばならぬであろう。向こうもまた弱いものには強く、強いものには弱いという事大主義であったのだ。正しいことでも権力を伴わなければ通らない。ゴネ得が行われていたのである。もちろん、そのうちに、不正なことでも権力さえ使えば通ることがわかり、権力の乱用が起こったこともまた否定できない。

 さらに正直にいえば、日本が追随外交をとっているあいだは、実は安全であったのである。日本が追随していたイギリスは、植民国家としてこれほど悪事を働いた国はなく、第一次世界大戦後は世界の大部分を植民地や半植民地にしたが、よほどの悪事を働かねばこんなことはできるはずがない。しかし、その反面、外交にかけては最も経験をつんだベテランであり、日本は国際社会に加入することが遅かったので、この老練家に頼るのが最も得策であったわけである。しかしこのイギリスはあまりに貪欲すぎた。世界中の利権を独占しようとかかった。ドイツのような新興国が現れると、少しの利益も分配しようとせず、叩いては潰し、起き上がるとまた叩いて潰す政策をとった。しかしイギリスはワシントン会議以降、日本を見限って、日本をドイツ側に立たせるに至ったのははなはだ拙いやり口であった。日英同盟の廃棄は、日本とともに植民帝国としてのイギリスをも破局においこむ第一歩であった。第二次世界大戦はイギリスの貪欲が本当の原因であり、戦争の結果、イギリスは戦勝国の一員にはなったが、その大領土はすべて分解してしまったのである。」

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昔イギリス、今中国!

(その2)に続く
posted by Fukutake at 13:21| 日記