2018年07月30日

アメリカの社会理念

「アメリカの鏡・日本 Mirror for Americans : Japan」その1
ヘレン・ミアーズ (Helen Mears) 伊藤延司 訳 
 メディアファクトリー 1995年

 「占領が終わらなければ、日本人はこの本を日本語で読むことはできない。−ダグラス・マッカーサー(1949年)」

 リーダーの資格  149p〜
 
 「私たち(アメリカ)の戦争・平和政策と計画が日本の将来にとって重要であるなら、アメリカの将来にとっても、計り知れないほど重要である。私たちは計画立案の指導者を自任してきた。しかし、緊張に押し潰されて事実を読み違えるようでは、指導者の地位は非常に危ない。私たちはまた道義の指導者を自認してきた。しかし緊張に押しつぶされて犯した罪を、それでだけでなく、危機が去ったあとに重ねた罪を認めて償うことができなかったために、私たちの道義は厳しくとわれているのだ。
 日本政府の頑迷派に圧力をかけるためなら、女子供の命を蒸発させることも「優れて適切な」手段であるというスチムソン元陸軍長官の言明が、戦争の熱いさなかだけでなく、日本の降伏から一年半も経つというのに、いまだに記事になり、広く容認されている。
 この事実は、私たちの選んだ社会理念が、私たちが思っていたほどには明確ではなかったことを物語っている。ナチスは自分たちの死の収容所を、望ましくもない過剰人口を整理するための「優れて適切な」方法であると信じていた。そのことは誰も疑わない。だからといって、私たちはこの問題をナチの都合のいいようには解釈しない。私たちは収容所を犯罪と呼び、その存在を許したものを犯罪人と呼ぶ。私たちは他国民の罪だけを告発し、自分たちが民主主義の名のもとに犯した罪は自動的に免責されると思っているのだろうか。
 社会「改革」の任務を背負う国民にとっては、これは重大な問題である。昔から力は自ずと腐敗するといわれてきた。ここにいたってもなお、原爆使用の正当性に固執するのは、私たち自身の価値を否定するものだ。私たちがいつまでも倫理の二重基準にしがみついているならば、私たちのように安全が保障されていない国々の人々に向かって、私たち以上に良心的になれとはいえないのである。(次回に続く)

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こういう人もいるんですね。
posted by Fukutake at 12:09| 日記

2018年07月25日

冷戦体制終焉後の世界の終焉

「帝国以後」(アメリカ・システムの崩壊) エマニュエル・トッド 著 
 石橋 晴己 訳 藤原書店

アメリカ的社会モデルがヨーロッパを脅かす

250p〜

 「…アメリカ・モデルに同一化する資本主義の型は、これまでそれに最も抵抗して来た社会にとって脅威となるものである。日本とドイツという主要な工業国は、しばらくは自由貿易の恩恵に与ったものの、いまや総需要の不足に喘いでいる。日本では失業率が上昇しつつある。労働階級はもはやグローバリゼーションの圧力から守られることができない。ウルトラ自由主義がイデオロギー的に支配的になったため、これらの社会のなからも異議申立ての言及が浮上するようになっており、それは潜在的には心性的・政治的均衡へのはかい要因となり得るのである。
 アメリカの経済関係の新聞・雑誌は、この両国(ドイツと日本)のシステムを「非現実的」で「閉鎖的」として。その改革を要求し続けているが、現実はこれらのシステムの誤りとは、あまりにも生産性が高いということにすぎない。世界的不景気の局面では、最も強力な工業的経済の方が常に、時代遅れの経済や生産性の低い経済より打撃を受ける。一九二九年の危機はアメリカ経済を直撃したが、それは当時アメリカの工業力が強大だったからである。二〇〇〇年の生産性の低いアメリカ合衆国は、需要不足に立ち向かうには態勢にあるのだ。ドイツと日本のシステムの現代化を要求するアメリカの経済関係の新聞・雑誌は、巧まざるユーモアに長けているのだろうか。もしドイツと日本がアメリカ型の貿易収支の赤字を出すようになったら、世界経済はどうなるのか、真剣に考えてみれば分かりそうなものではないか。いずれにせよアメリカのイデオロギー的圧迫と、全世界規模での組織体制の中で自由主義的な考え方が支配権を握っているという自体は、ドイツと日本という最も輸出力のある工業的経済にとって、根本的な問題となりつつある。そしてこの両国はアメリカ合衆国の最も重要な同盟国に他ならない。アメリカ・システムの安定性の根拠は、出発点においては、第二次世界大戦で征服され、次いで手なずけられた。ドイツと日本というこの二本の基本的な支柱をワシントンが支配しているという事実であった。アメリカは、その赤字と失敗と不安によって世界に対する新たな非寛容の中に引きずり込まれ、この両国の離反を招きつつある。」

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パックス・アメリカーナの終焉
posted by Fukutake at 12:50| 日記

2018年07月23日

経済行動における人間原理

「『行動経済学』人生相談室」 ダン・アリエリー 櫻井 祐子 訳
  ハヤカワノンフィクション文庫 2018年

動作が遅くても喜ばれる?

40p〜

 (相談者)
 「親愛なるダンへ
  社会人になって間もないころ、僕は勤めていた大手銀行でエクセルの巨大なプログラムをつくりました。大量のデータを分析して、綺麗なレポートに仕上げるプログラムです。分析とレポート作成には二分ほどかかるため、その間砂時計を表紙して、プログラムを実行中だとわかるようにしていました。レポートはとても重宝されましたが、プログラムが遅すぎると散々文句をいわれました。
 その後面白いかなと思って、実行中の処理を見られるように設定を変えてみました。データがスライスされたり、データベースのいろんな部分が色が変わったり、ヘッダーのタイトルやグラフが作成される様子が、ビデオの早回しを見ているように見えるんです。でも問題があって、そのせいでプログラムの実行が前の三倍ほど時間がかかるようになりました。
 ところがびっくり、プログラムがどんなに速くてすばらしいかをみんなが口々にほめてくれるようになったんです。どうしてなのか、合理的に説明してもらえませんか?

(ダン・アリエリー)
 合理的かどうかはわからないが、論理的に説明してみよう。君がわかりやすく教えてくれた現象には、二つの要素がある。一つは、人は何かをぼんやり待っていると時間を無駄にしている気がして、時の経つのを苦痛に感じるということ。つまり君の同僚たちにとって、プログラムが終わるのをぼーっと待ちながら過ごすのは、何かをしながら過ごすよりずっと苦痛が大きかったんだね。二つ目の要素として、誰かが自分のためにはたらいているときにはとくにそうだ。ここでのポイントは、私たちは仕事から得られるアウトプットの質を直接評価するのは苦手でも、こと労力に関しては自ら進んで、自然に評価するということだ。そして面白いことに、誰かが自分のために一生懸命働いてくれる喜びは、人間だけではなく、コンピュータの計算にもあてはまるんだ。
 
 人間のこの性質に関する発見をふまえていつも周りに自分をアピールするといいよ。」


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「自分のために何かをやってくれる=嬉しい」

posted by Fukutake at 10:25| 日記