2018年07月17日

楽観バイアス

「ファスト&スロー (あなたの意思はどのように決まるか?)」
 ダニエル・カーネマン 著  村井 章子 訳 早川書房 2014年


 楽観的な起業家

51p〜

 「私たちの大半は、世界を実際よりも安全で親切な場所だとみなし、自分の能力を実際よりも高いと思い、自分の立てた目標を実際以上に達成可能だと考えている。また自分は将来を適切に予測できると過大評価し、その結果として楽観的な自信過剰に陥っている。意思決定におよぼす影響としては、この楽観バイアスは認知バイアスの中でも最も顕著なものと言えるだろう。楽観バイアスは、好ましくもあるが危険でもある。もしあなたが楽観的な性格ならば、それはとてもしあわせなことだが、しかしよくよく注意しなければいけない。

 楽観主義はごくありふれた傾向だが、一部の恵まれた人は、図抜けて楽観的である。生れながらにして楽観バイアスを授かっている人は、「あなたは運がいい」と周りから言われる必要なないだろう。なぜなら、本人がすでにそう思っているからだ。楽観的な性格の多くは親から受け継いだもので、幸福になりやすい気質の一部であり、いつもものごとのよい面を見ようとする傾向を備えている。もしあなたが自分の子供のために一つだけ願いを許されるとしたら、楽観的な性格を授けてもらうことを真剣に考えるべきである。楽観的な人は一般に陽気で楽しく、従って人気者である。失敗しても立ち直りが早く、困難に直面してもへこたれない。こういう人が鬱病になる可能性は低く、免疫システムは強靭だ。めったに病気はせず、自分は他人より健康だと感じており、そして実際に長生きする傾向にある。
 言うまでもなく、楽観的な性格のこうしたよさが発揮されるのは、楽観主義がいきすぎでない人、すなわち現実を見失うことなくプラス思考になれる人に限られる。
 (人々が)何事にも楽観的なのは、おそらく性格に由来する。小さな企業の創業者を対象に行われたある調査では、起業家は人生全般について、中間管理職よりも楽天的であることが判明した。彼らは成功体験を通じて、自分の判断やものごとをコントロールする能力に自信を深める。その自信は、周囲からの賞賛によって一段と強まる。以上の点から、次の仮説を導き出すことができる。多くの人の生活に多大な影響力をおよぼす人たちは、楽天的かつ自信過剰である可能性が高い。また、自覚している以上に多くのリスクをとる。」

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楽天家の弱点。
posted by Fukutake at 08:02| 日記

2018年07月11日

陳独秀

「中国文明の歴史」−中国の目覚めー(その2)
 宮崎市定 中公文庫 2000年

 五・四運動について

276p〜
 「五・四運動の火付け役は、じつは陳独秀だったのである。かれはそれよりひと月ほど前に、「新世界」という名の五階建の娯楽場の屋上から、北京市街に向かって宣伝ビラをばらまいた。その内容は、すでに隠退していたが依然として軍閥の大御所である段祺瑞に対する非難、日本からの借款を得て私腹をこやし、宏大な邸宅を建てた曹汝霖らに対する攻撃の文章であった。当時の大総統は徐世昌であったが、警察はただちに新世界を閉鎖し、ビラまきの本人、北京大学文科長陳独秀を捕縛投獄した。学生らのその後過激な行動は、この事件に憤慨したあげくに発生したものにほかならなかった。
 まもなく陳独秀は釈放されたが、もちろん北京大学教授の職は失っている。かれが北京を去って上海に現れると、ここには全国学生連合会が組織され、学生運動の中心となって活動していた。日本の全学連の手本はここにあったのだ。学生たちは上海でも日貨排斥に熱狂しつつあった。この前後の日貨排斥には、必ずといっていいほど、その裏面にはイギリス・アメリカ資本からの扇動があったのも事実である。日貨排斥の先頭に立つのは、アメリカ帰りの留学生や、ミッション・スクールの学生が多かった。上海の学生たちは陳独秀を歓迎し、その排日運動に同調するように請うたところ、かれは木で鼻をくくるようにすげなくことわって言った。
  バイブルの何頁に排日を行えと書いてあるかネ。
 かれの鋭い目は、中国を半植民地の状態に陥れているのは、微力な日本などの存在ではなく、実は排日を裏面で煽っている英米資本主義にほかならぬことを、ちゃんと見抜いていたのである。

(中略)

 中国共産党はその後、幾度か指導者とその方針とを変え、陳独秀から李立三、李立三から毛沢東となって現今に及んでいるが、そのたびごとに前任者の過失が指摘された。陳独秀ごときも、現今では誤ったコースに共産党を導いた前科者のように取扱われている。そして現在中共の歴史学は、共産党成立以前の五・四運動に関しても、つとめて陳独秀の存在を軽視しようと努力している。いわんや胡適はその後、蒋介石の国民政府に重用され、共産革命後はアメリカに亡命したので、中共側から非難を免れるはずがない。中共側によって書かれた歴史には、思想革命や文学革命はぜんぜん問題とされず、ただ五・四運動だけが取り上げられ、しかも陳独秀や胡適とほとんど関係がなかったことを証明しようと全力をあげている。このような態度は決して正しくない。すべて共産主義国家の現代史ほどあてにならぬものはない。」

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歴史も政治である。
posted by Fukutake at 13:34| 日記

2018年07月09日

英国の貪欲

「中国文明の歴史」−中国の目覚めー(その1)
 宮崎市定 中公文庫 2000年

 日本の外交について

254p〜
 
 「日本の外交は明治以来、追随外交と称せられた。先進国に対してははなはだ卑屈な態度で終始したので評判が悪かった。しかしながら当時の日本の国力を考えればこれはやむをえなかった。誰しも卑屈は好むところではない。だが、卑屈に見えるくらいであったればこそ、虚心に先進国の文明を取り入れることができたのであった。これを現今の新興国と比べてみると、かれらはあまりにも身分不相応に自尊心が強すぎはしないか。堪え難きを忍ぶという忍耐心がなさすぎるようだ。現今のわれわれとしては、惨憺たる苦心をして日本をここまで持ってきた祖先の努力に敬意を払うべきではあるまいか。
 日本の外交が先進国に対して卑屈な反面、後進国に対してははなはだ尊大であったという批判はしばしば耳にするし、またその通りであった。しかしこれも、そのようにしなければならぬ現実の状態であったことを考慮に入れねばならぬであろう。向こうもまた弱いものには強く、強いものには弱いという事大主義であったのだ。正しいことでも権力を伴わなければ通らない。ゴネ得が行われていたのである。もちろん、そのうちに、不正なことでも権力さえ使えば通ることがわかり、権力の乱用が起こったこともまた否定できない。

 さらに正直にいえば、日本が追随外交をとっているあいだは、実は安全であったのである。日本が追随していたイギリスは、植民国家としてこれほど悪事を働いた国はなく、第一次世界大戦後は世界の大部分を植民地や半植民地にしたが、よほどの悪事を働かねばこんなことはできるはずがない。しかし、その反面、外交にかけては最も経験をつんだベテランであり、日本は国際社会に加入することが遅かったので、この老練家に頼るのが最も得策であったわけである。しかしこのイギリスはあまりに貪欲すぎた。世界中の利権を独占しようとかかった。ドイツのような新興国が現れると、少しの利益も分配しようとせず、叩いては潰し、起き上がるとまた叩いて潰す政策をとった。しかしイギリスはワシントン会議以降、日本を見限って、日本をドイツ側に立たせるに至ったのははなはだ拙いやり口であった。日英同盟の廃棄は、日本とともに植民帝国としてのイギリスをも破局においこむ第一歩であった。第二次世界大戦はイギリスの貪欲が本当の原因であり、戦争の結果、イギリスは戦勝国の一員にはなったが、その大領土はすべて分解してしまったのである。」

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昔イギリス、今中国!

(その2)に続く
posted by Fukutake at 13:21| 日記