2018年06月11日

光が見えるということ

「生きものの世界への疑問」 日高敏隆 著 朝日文庫 2018年

 光の動物学

249p〜

 「モンシロチョウに紫外線が見えるということは、モンシロチョウにとっては紫外線も光だということである。われわれ人間にとっては、紫外線はまさに紫「外」線であって、光ではない。可視光をまったく含まぬ紫外線だけで照らした部屋に入ったら、われわれは真っ暗いと思う。けれど、その同じ部屋を、モンシロチョウは明るいと感じるであろうし、天井にある紫外線灯はキラキラと輝いて見えるだろう。事実、多くの昆虫はそのような部屋に放たれたとき、紫外線めがけて飛んでゆくのである。
 けれど、いろいろな人々の実験で明らかにされたとおり、モンシロチョウは赤い色が見えない。赤は黒と同じく、暗黒としか感じられないのだ。われわれの心にさまざまな感動をよびおこす夕映えの赤い光は、モンシロチョウにとっては光ではないのである。カール・フォン・フリッシュがいみじくもいったとおり、それは黄外線に過ぎない。
 (中略)

 光が動物によって異なるとはいっても、その範囲は限られている。極端に波長の短い紫外線を光として感じる動物はいないし、赤外線についても同じである。それは生物がつねに不安定な存在であり、かつ自己保存機能をもつ存在であるからである。

 われわれにとって、紫外線は光ではない。けれど、強い紫外線のふりそそぐ夏の浜辺や冬の雪山では、われわれの肌はその化学的作用によって黒く焼けただれる。われわれの眼はその水晶体が紫外線をくいとめるようにできており、それによって紫外線が網膜に達するのを妨げて、大切な網膜が焼けてしまわないようになっている。しかし同時にこのことによって、われわれは紫外線を見ることができなくなった。それは目を保護するしくみである。いわば、光を光としてよりよく認めうるために、紫外線を光の範疇から切り捨てたのである。
 昆虫にしても同じことなのだ。いくら彼らに紫外線が見えるといっても、見えるのはわれわれの光に近い近紫外の部分に過ぎない。もっと波長の短い、そして化学的破壊作用の強い部分の紫外線は、用心深く光から切り捨てている。彼らとてそれを光にしようとは思わなかったのである。」

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「電磁波のどの部分を光とするか。それぞれの種の適応の結果でしょうか。」
posted by Fukutake at 12:44| 日記