2018年06月25日

死に至る生

「わたしガンです」−ある精神科医の耐病記−
 頼藤和寛 文春新書 2001年

52p〜

 「…論語に「徳は孤ならず、必ず隣あり」とあるが、ガンも似たようなところがあって、どこかにできたのなら、その近所あるいは体内の別のどこかにもガンや前ガン状態があっても不思議ではない。要するに、ガンというのは何かの間違いで偶然ぽつりとできたデキモノというより、発ガンを許す体質や体調(その代表例は老化である)といった背景の問題を無視できない病態なのだ。発ガン物質や生活習慣が原因だとする素朴な図式を受け入れたとしても、何段階にもわたる遺伝子エラーが蓄積していかないと細胞はガン化しない。その上、遺伝子エラーを修正するメカニズムも故障していなければならない。それどころか健常者の体内でも毎日数百から数千ほどの細胞がガン化しているという。なぜ発病しないかというと、抗腫瘍免疫やその他の修復・防衛機能によってただちに排除ないし是正されてしまうかららしい。これらを総合すると、ガンは局所の病気であると同時に(転移などしなくても、最初から)全身の病いでもあるのだ。我が国や米国で数百万人もいるガン克服者の一部は、そのうち再発ではなく新発生した別のガンで亡くなることが予想されている。そうすると、若者のにきびや乳児の湿疹と同じで、できやすい者は結局できやすいのである。

 それなら予防すればよい、とは言うものの、これがそう簡単ではない。緑黄色野菜をたっぷり摂りさえすれば、煙草をやめさえすれば、あるいはストレスを避けさえすれば、ガンが予防できるといった単純図式は、そうであってほしいと願う人々が抱く都合の良い信念にすぎない。現に、野菜嫌いで愛煙家でストレスまみれなのに一向にガンにならない強運の人もいる。また我が国のガン予防十二カ条や米国お勧めのデザイナーフーズその他、疫学的に裏付けられている「ガンにならない食品・生活習慣」を完全に守ることは並大抵ではない。仮にそれらを徹底できたとしても、まるでその人の人生は単に「ガンにならないためだけに捧げられた一生」みたいなものになってしまう。これは実につまらない一生である。第一、それほどまでしてもガンになる確率を人為的にゼロにすることはできない。そもそも最大のリスク・ファクターは加齢なのである。人も知るように「生きていることは健康にわるい。」第二に、運よくガンにならなかったとしたところで、いずれ脳障害か心臓麻痺か事故か老衰で死ぬと言うことだけのことなのだ。」

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長生きは健康に毒?!
posted by Fukutake at 08:02| 日記

2018年06月21日

無限の未来

「宇宙の始まる前には何があったのか?」
 ローレンス・クラウス 著  青木薫 訳 文藝春秋 2013年

254p〜

 「もしもわれわれの住むこの宇宙のエネルギーが、無すなわち真空のエネルギーに支配されているなら、たしかにそんな陰鬱な未来になりそうだ。天は冷え切って、暗黒で空っぽの世界になるだろう。しかしじつは、見通しはいっそう暗い。空っぽの空間のエネルギーに支配された宇宙は、生命の未来にとっては最悪なのである。そのような宇宙では、いかなる文明もエネルギーが枯渇して、いずれは消滅せざるをえない。考えることもできないほど長い時間が経った後、何らかの量子ゆらぎ、または何らかの熱的ゆらぎによって、ふたたび生命が進化して繁栄するような、小さな領域が生じることもあるかもしれない。しかしそれもまた儚いものになるだろう。未来の宇宙は、果てしない謎をとくための手がかりを、何ひとつ含まないものになるだろう。
 宇宙の始まりに目を向けて、われわれを構成する物質が、時間の始まりのときに起こった何らかの量子的プロセスで生じたなら、それもいずれ消滅するのはほぼ確実だ。物理学は双方向に通行できる道であり。始まりと終わりはつながっている。はるかな未来に陽子と中性子は崩壊し、物質は消滅し、宇宙は最大限に単純で、対称性の高い状態に近くだろう。
 数学的には美しいのかもしれないが、そこには何の実質がない。エフェソスのヘラクレイトスは、これとは少し違う文脈で次のように述べた。「『神々と人間が争いをやめさえしたら!』とホメロスは言ったが、それは大きな間違いである。もしもその言葉どおりになったとしたら、万物は消滅するに違いない」。クリストファー・ヒチンスはそれを言い換えて、こう述べた。「涅槃は無である」

 いずれ宇宙は無に帰するというこの宇宙像は、もしかするともっとも極端なものになるかもしれない。ひも理論家の中には、複雑な数学的理論にもとづいて、われわれの宇宙のように、空っぽの空間に正のエネルギーが含まれている宇宙は、安定ではありえないと主張する者もいる。いずれ空間は崩壊して、真空のエネルギーが負であるような状態に落ち着くというのだ。そのときわれわれの宇宙は一点にまで縮み、始まったときのような、ぼんやりとした量子的な状態に戻るだろう。もしその議論が正しければ、われわれの宇宙は突然に消滅するだろう。
 この場合、「なぜ何もないのではなく、何かが存在するのか」という問いに対する答えは、「存在するとはいっても、長くはない」ということになるだろう。」


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「………」
posted by Fukutake at 12:49| 日記

2018年06月18日

人間は残酷か?

「浮気人類進化論」 −厳しい社会といいかげんな社会 − 竹内久美子
文春文庫 1998年

 103p〜

 「人間がめったに子殺しをしないのはなぜだろう。こんなことを言うと、大方の良識ある人々から「何をばかなことを言っておるのだ!」と一喝されそうな気がする。
 たしかに、誘拐の後、惨殺された子どもであるとか、親が折檻した末、衰弱死した子ども、ひところ流行したコインロッカーベイビーなど、世の中にあってはならない子殺しの話が山ほど転がっている。しかし、人間という動物の本性を問題にする場合、我々はこれらの話が本当によくあることなのかどうか、他の動物とも比較して考えてみなければならない。
 人間は他の大型、中型哺乳類に比べ圧倒的に数が多い。しかも、「浮気するサル」であるため、他人の行動を事細かく観察し、すぐさま情報交換せずにはいられないという困った性癖を身につけてしまった。そこで今や、地球規模での広くて緻密な情報交換網を発達させ、めったに起こらないような事件まで(いや、めったに起こらない事件だからこそであるが…)逐一報道するようになった。情報の受け手は、それらがまるでしょっちゅうどこでも起きているかのような錯覚を覚えるのである。
 このあたりの事情を、アメリカのE.O.ウィルソンは一九七五年に出版された彼の記念碑的大著『社会生物学』(伊藤嘉昭監修、思索社)の中で次のように言い表している。

 仮に火星人の動物学者が地球を訪れ、地球上の動物の一つの種である人間を非常に長期間にわたって観察するなら、単位時間あたり一人あたりの重傷率とか殺害率で測るとして、人間はかなり平和な哺乳類のなかにいると結論するだろう。たとえ、われわれの偶発的な戦争をこみにして平均化したとしてもである。

 この一説には動物行動学の父と言われるコンラート・ローレンツに対する痛烈な批判の気持ちが込められている。それは、名著と言われているローレンツの『攻撃』(みすず書房)を読んだことのある方なら、すぐにお気づきのことだろう。
 ローレンツは、人間の社会は残忍な殺戮に満ちた世界であるが、野生動物の社会はそういうことの防がれている理想の世界だと訴え続けてきた。ところが、ローレンツのこの神話は見事に崩壊した。今や野生動物の世界を美化しようとするのは、野生動物をだしに使って人間批判をしようとする一部の平和主義者か野生動物の真の姿を知ろうとしない偽ナチュラリストだけである。人間にとって子殺しは何かのアクシデントであるというのが動物行動学の今の見方なのである。」

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野生動物の社会は本当に平和か。
posted by Fukutake at 09:45| 日記