2018年05月07日

仮面としての人生

「キャンベル選集U 生きるよすがとしての神話」 ジョーゼフ・キャンベル  飛田茂雄・吉川菜々子・武舎るみ(訳)  角川書店 1996年

ペルソナ

第四章 東洋と西洋の分離より
 75p〜

 「スイスのカール・G・ユングは、『人生において、どの人もある特別な社会的役割を演じることを社会から要求されていると』と指摘しました。社会の一員として機能するために、だれもが常に役割を演じなければならない。このような役割をユングはペルソナ(personae)と呼びました。…

 社会的役割を果たそうとすれば、人はなにか仮面をかぶって人前に姿を現さなければなりません。そのような仮面を拒否する人間も、結局はほかの仮面、つまり拒否の仮面をかぶるだけのことです。『仮面など、ごめんだ』とでも言いたげな表情の仮面を。仮面の多くは、大した意味のない、その日その日の気分に合わせた表面的なものです。しかし、非常に深遠な意味を秘めた、本人が考えている以上に深い意味を持つ仮面もあります。ちょうど、どの人の肉体も、頭部、二本の腕、二本の脚などで構成されているように、生きているすべての人間は、ほかの特徴と共に、パーソナリティーというものをもっています。パーソナリティーはとは、精神の奥深くに刷り込まれたペルソナです。パーソナリティーを通して、私たちは自分自身を知り、他人もそのパーソナリティーによってその人を理解するのです。したがって、パーソナリティーなくしてはその人らしさは失われてしまいます。だから、例えば「仮面を脱ぎ捨て、自然に振る舞おう」などと言うのは、実にばかげた話です。脱ぎ捨てても、脱ぎ捨てても、またまたその下には仮面がいくつもいくつもあるのですから。若さの仮面、年齢の仮面、さまざまな社会的役割の仮面が。そして、相手にこちらからかぶせてしまう仮面もあります。そのような仮面を通して見ると、相手の実像がぼやけてしまうのですが、私たちはその仮面に向かって対応するのです。」

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人生は一種の舞台だという意味がわかります。
posted by Fukutake at 07:43| 日記