2018年04月09日

中国古代史の終焉

「世界の歴史7 大唐帝国」 宮崎市定 河出文庫(河出書房新社) 
 1989年

中国中世史(唐)

本書あとがき より

 「漢末から唐初までの間には約四百年の歳月が横たわる。一部日本の学会では、この時代をそれ自身の価値によって捉えようとはせず、単なるつなぎの時代として片付けようとする。古代の漢から古代の唐へ移る中間には大した意義がないからである。我々の考えはそうではなく、古代の漢が滅びたあと、新しい時代を迎える活力を蔵した時代として評価せんとする。
 そもそも漢王朝の滅亡は単なる一王朝の滅亡ではなく、古代社会がその必然的運命を辿って崩壊したのである。すなわち古代都市国家の遺制たる郷亭制を地盤とした漢帝国がその根底から崩壊し、その跡の各地域の中心には大なる政治都市が出現し、末端には無数の荘園村落が発生し、中国社会は従来なかった新局面を迎える。農村を足場とした地方都市は連合して地域の秩序維持に当たり、この地域連合はややもすれば中央政府から離脱して、独自の政権を樹立しようとする。漢代まで中国はひたすら全国の政治的統一を理想として努力を続けてきたが、漢王朝が滅びると共に、社会に分裂的素因が作用し、中央の統制力が弛んで、地方を掌握することが出来なくなり、分裂割拠がかえって常態となり、それが中世の時代色となるに至った

 最初の分裂は漢滅亡直後の魏・呉・蜀三国鼎立であり、西晋が代わって天下を統一したが、わずか十数年の平和を保ったばかりで、永嘉の大乱となり、以後五胡十六国の大分裂を経て、南北朝の対立を生じ、これを隋が統一したがその盛時は二十余年、これに代わった唐王朝も名実ともに統一を保ったのは、安史の乱に至るまでの百四十年に過ぎぬ。地方軍閥の割拠の趨勢は次の五代十国、中国史上最後の大分裂に至って極点に達した。通観して漢滅亡から宋の統一に至る七百四十年のうち、統一の実をあげたのはわずかに三朝百七十余年、全体に比して四分の一強に過ぎない。されば中国中世は世界の各地域と共通して、分裂割拠を常態として、統一状態、とくに唐王朝の大統一はむしろ異例と見るべきである。しからばこの大統一は如何にして出現したか。従来の史家はともすれば唐を以って唐を説明するの方法を用いようとするが、実はそれは解答にならない。私は唐が成立する以前の五胡南北朝を以って唐の本質を説く筆法を用いたが、その結果は目標たる唐王朝自体を説くにははなはだ疎略結果に陥った。しかし、大唐帝国が大唐帝国たる所以を説明するためには、このような筆法があっても良いではないかと考える。」

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戦乱の中国中世史
posted by Fukutake at 08:37| 日記