2017年05月08日

現実と幻

「精神のエネルギー」 ベルクソン 宇波 彰 訳 
第三文明社 レグスルス文庫 1992年

三 <生者の幻> と <心霊研究>

「テレパシーと偶然の一致」より

 p82〜

 「… しばらく前のことですが、私が出席した或る社交界の集まりで、みなさんが研究している現象が話題になりました。そこにはフランスの最もすぐれた医学者のひとりがいましたが、その方はフランスの最もすぐれた科学者のひとりでもありました。話を注意深く聞いてから、彼はおよそ次のようなことを言いました。<あなた方の言われることはすべて私にとってたいへん関心があります。しかし私はみなさんが結論を出す前に考え直すようにお願いしたいのです。私もまた異常な事実を知っています。そして私はその事実が本当であることを保証します。というのは、それを私に話したのはたいへん知性のある女性で、彼女のことばを私は絶対に信じているからです。この女性の夫は士官でしたが、或る局地戦で戦死しました。ところが、その夫が倒れた瞬間に、彼女はその情景を幻で見たのです。それはあらゆる点で現実と一致するはっきりとした幻視でした。おそらくみなさんは、彼女自身がそうしたように、そこには千里眼かテレパシーといったものがあった結論されるでしょう。しかし、みなさんが忘れていることがひとつだけあります。つまり、夫が元気なのに、死んでしまったか死にかけている夢を見る妻は大勢いるということです。幻で見たものが現実と一致するばあいだけを注意して、そうでないばあいは考慮されないのです。調べて見るならば、幻と現実と一致が偶然の作用の結果であることがわかるでしょう。>
 会話はよくわからない方向にそれて行きました。そして、哲学的な議論を始めることは問題になりませんでした。それにふさわしい場所でもなく、時間もなかったのです。しかし、テーブルを立ったとき、話をよく聞いていたたいへん若い女性が、私のところへ来て次のように言いました。<先ほどのあの先生の考えはまちがっているように思えます。あの先生の考えがどこで違っているのかはわかりませんが、違っているはずです。>そうです。誤りがあったのです。若い女性の方が正しく、まちがっていたのはすぐれた科学者の方でした。彼は現象のなかの具体的なものに対して目を閉じていたのです。彼は次のように推論しました。<夢や幻覚によって家族の者の死か危篤の状態が知らされるとき、それは本当か誤りであり、そのひとは死ぬか死なないかである。したがって、幻が真であるならば、それが偶然の結果でないことを確かめるためには、<本当のばあい>と<誤りのばあい>の数を比較しなければならない。>彼は自分の推論が置換によっていることがわかりませんでした。つまり彼は、一定の時と場所で、だれそれという兵士たちに囲まれてその士官が倒れたという、具体的で生きた情景の描写を<女性は真実のなかにいたのであって、誤りのなかにいたのではない。>という、無味乾燥で抽象的な考え方に置き換えたのです。
(略)
 つまりその女性が見た場面、彼女から遠いところの、きわめて複雑な情景のそのままの再現である場面を無視することで成り立っています。」

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1913年5月28日、ロンドンの心霊研究会での講演
posted by Fukutake at 08:46| 日記