2017年05月30日

医療の目的

「医師は最善を尽くしているか」医療現場の常識を変えた11のエピソード
 アトゥール・ガワンデ  原井宏明 訳  2013年 みすず書房

147p〜

 「ある日、廊下を歩いているときに、集中治療室の看護師の一人ジーンが私を呼びとめた。はっきりと彼女は怒っていた。
 『医者って何様のつもり?先生って、止めどきというものを知らないの?』
 その日、ジーンは肺がんの患者を担当していた。片肺を切除術後五ヶ月間、三週間を除いて、集中治療室に入っていた。術後すぐに残った肺に肺炎が起こり、気管切開と呼吸器がなければ、息ができない状態になっていた。薬で鎮静がかかっており、それをやめれば、酸素濃度が下がってしまう。手術で胃瘻(*)を設置し、チューブから栄養を摂取していた。敗血症のために肺炎が起こり、人工透析が必要になっていた。かなり以前から、病院以外の場所では、生命を維持できないことは明らかになっていた。しかし、医師も患者の妻もこの事実に直面することを避けていた。なぜなら、がん自体の手術は成功していたし、患者は末期状態ではなく、まだ五〇代だったのである、そして、ベッドに横たわり、改善の見込みはなく、医師にできることは悪化を防ぐことだけだった。ジーンにとってみれば、このような患者は一人でだけではなかった。
 ジーンと話し合ううち、あまり早く諦めてしまった医師のことも話してくれた。そこでどんな医師がベストだと思うのかを彼女に聞いてみた。答えるまでにしばらく時間がかかった、ようやく口を開き、『良い医師とは、一つ大事なことを理解している人で、それは治療は医師のためではなく、患者のためだということ』と述べた。よい医師というのはいつも正しい答えを持っているわけではない。時にはながく押しすぎるときもあれば、早く引きすぎるときもある。しかし、とにかく一度立ち止まり、今やっていることを振り返り、見直す。よい医師とは自分の自尊心は横に置いておき、他人に別の見方を求めるものである。
 この洞察は簡単に見えるがそこに到達するためには賢明さと努力が必要である。だれかが、あなたの専門的技量を求めて受診にきたが、あなたが失敗した場合、あなたに何が残るだろうか。そこで頼りになるものは、あなたの人となりだけである。


 つまるところ、医師に何ができて何ができないかを教えてくれるようなガイドラインというものはない。不確実さの前では、強気で押す側に間違える方が諦めが早すぎるよりはマシとは言えるだろう。しかし、強気で押すことが単にエゴや弱さの表れだと認めなければならないときも来る。強気で押すことが患者を傷つけるだけになっていることを認める心の準備が必要なのである。

 何が正しいことなのか、はっきりしないときでも、患者にとって正しいことをすることなのだ。」

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(*)胃瘻(いろう):口から食事のとれない人、飲込む力の無い人のために、直接、胃に栄養を入れるためのおなかに小さな「口」を作る手術

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正しい治療とは…。
posted by Fukutake at 14:04| 日記

2017年05月29日

無常といふ事

「死のエピグラム」一言芳談を読む 吉本隆明 解説 
大橋俊雄 訳・注

春秋社 1996年


P84〜

 「山王権現にわざと巫(かんなぎ)の装束をした年若い女性が、十禅師社の社前で、夜がふけ、人が寝しずまってからのち、とんとんと鼓をうちながら、すずしげな声で、「どうなろうともかまいません。どうぞ、どうぞ」とうたった。

 どうしてそのようなことをするのか、と人に強く問われると、
  生死無常のありさまを考えてみますと、この世のことはどうなろうともかまいません。なにとぞ、死後は浄土に生まれますように。 と申し上げた、という。」

(原文)
 「有云、比叡の御社(おんやしろ)にいつわりて、かんなぎのまねしたる、なま女房の、十禅師の御前にて夜うち深て、人しづまりて後、ていとうていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしゐ問れて云、生死無常の有様を思ふに、此世は事はとてもかくても候。なう後世をたすけたまへと申なり、云々。」

 小林秀雄が引用していました。

posted by Fukutake at 08:21| 日記

2017年05月25日

不況脱出!

「さっさと不況を終わらせろ」ポール・クルーグマン  山形 浩生 訳・解説 ハヤカワ ノンフィクション文庫 
2015年


訳者の山形氏が、本書の内容を分かりやすく解説している。

357p〜

 「財政支出は、将来に禍根を残す、という物言いもよく聞かれる。赤字国債を出せば、それを返済するのは将来世代となる。今の世代のために、将来にツケを回していいのか、という議論だ。
 これへの答えはもちろんお分かりだろう。財政出動しなかったらどうなるのか?増税したらどうなるのか?財政赤字は減るかも知れない。でも、失業者はその分増えるし。公共インフラの保守整備も遅れる。失業者がいかに将来世代のツケとなるかは、本書に書かれた通りだ。所得も低いまま、すでに身につけた技能すら活かす機会のないままに腐って、低い所得に甘んじるしかなくなる。将来の技能が下がるだけでない。そうした人々は、将来所帯を持って子供を作るのも難しくなり。その分だけ将来の若者たち一人当たりの福祉負担は増えてしまう。これが将来へのツケでなくてなんだろうか?
 今財政出動をケチるというのはそういうことだ。そして本書にあるとおり、その財政出動で経済成長が戻れば返済の負担は大いに下がる。ひょっとしたら、返すまでもなく利子だけを払い続ければ済むかもしれない。それを考えずに、財政再建のために増税が必要だなんて言い出すのは、将来への財政以外のツケを増やすだけだ。いや、財政面でも結局は景気悪化による税収減で、十分にツケは残ってしまいかねない。
 また金融緩和については、すでに述べたように、一回限りの一時的な金融緩和は効かない、という議論をかってにねじまげて、だから金融緩和は効かない、量的緩和をやっても無駄だ、よって今後金融政策にできることは何もない、それを要求するリフレ派はお門違いだ、といった主張がしばしば聞かれる。
 (中略)
 では、どうすればそんな(インフレ)期待はできる?まず、いま金融緩和し、明日も金融緩和し、それをしばらく続けるうちに「あ、これは当分続くかも?」と人々は思うようになる。」

 「つまり、将来のインフレ期待をつくるには、まずいまの金融緩和は必須だ。いまの金融緩和だけでは(あまり)効かない。でも、だからと言ってやめずに
金融緩和を続けることが、期待インフレを押し上げて景気回復につながる。ここらへんの議論をきちんと仕分けして理解することが重要なのだ。」


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初出は2012年だが、全く今でも変わらず通じる話。アベノミクス頑張れ!
posted by Fukutake at 16:12| 日記