2017年02月27日

歴史とは歴史家が編む物語

「東洋的古代」宮崎市定 中公文庫 2000年

史記李斯列伝を読む

249p
(結語部分)
 「…冒頭に述べたように『史記』は文・史の未だ分離せざる作品である。だからこれを研究するに、現在の歴史学の考えを以てして、たとえどんな鋭い理論を以て立ち向かったところで、それは暖簾に腕押し、一向に手応えがないだろう。さりとてその文学的な面だけを重視して、司馬遷の個人的な環境、その心情ばかりを頼りとして、情緒的に本体を摑もうとしては、出てくるものは司馬遷個人であって『史記』ではない。なんとなれば『史記』は文学的と言うよりは、より多く歴史的な作品であるからだ。そして、我々としては特に司馬遷の歴史家としての苦心を没却すべきでない。
 『史記』を研究するには、何よりも『史記』をして『史記』を語らしめるより外によい方法はない。そのためには、広く表面を掘り返すよりは、此処ぞと思う地点を見つけて、出来る限り深くボーリングを試みる方が良い。深く掘るには絶えず周囲からからの土崩れを防ぐ用意も必要だ。そして壊れ易い土器をなるべく原形のまま掘り出そうとする時、最後へ行っていちばん必要なのは、金属製のスコップよりは人間の手だということになる。こちたき理論よりも、身体を張って得た経験によるカンが大切だと言いたいのである。『史記』のような為体の知れぬ古典になると、研究の対象となってあげつらわれているのは『史記』であるが、実はそれ以上に問われているのは研究者自身の人間であると覚悟しなければならないであろう。」

----
史書を読むとは、読む側の人間が試されること。

*「こちたき」甚だしい、仰々しい。
posted by Fukutake at 17:21| 日記

2017年02月20日

正義の裏側

「賢い利己主義のすすめーポスト・モラリズム宣言」頼藤 和寛 
人文書院 1996年

正義の舞台裏

92p
(ルサンチマンと正義)
 「さいわいなことに、「うまくやっているヤツ」や「支配層」にはなんらかのうしろ暗さがあるもんで、叩いてホコリの出ない優越者はマレです。なにか不正なことをやらないかぎりあんなに成功するはずがない、という疑念は、成功していない庶民大衆に根づいています。そこを突っついて何か出てくれば、攻撃の大義名分は整うわけで、これを「満たされない者・嫉妬する者・自分をもてあましている者」が見逃さないわけがありません。そして攻撃が始まれば、日頃の鬱憤はようやく解消されるのです。
 (中略)
 まあ、実際には革命や仮想敵までいかなくとも、日常生活においてすら自分より恵まれた相手がコケたのを見るだけでも、まるで天下に正義が行われたかのように感じて溜飲を下げスッとします。困ったことに、これに味をしめてクセになる正義中毒もあるようです。言うなれば、「自分より有利な者の足を引っ張りたい」シンドロームですね。
 かりにその集団が民主的な構造であったとしても、似たようなことは生じ得ます。自由だ、民主的だ、平等だといっても、才能や人気や運不運の別は生じてくるわけですが、民主的であればあるほど出発点の不公平がないはずなので、そこでぬきんでる一部のエリートには誰にも文句が言えなくなる道理。そこでも不遇の層は発生し不平不満は生まれますが、それをぶつけるための大義名分に困る。次に起こるのは、根ほり葉ほりのアラさがしとスケープゴートの抽出です。さすがに正義を持ち出して攻撃するまではいかずとも、つまらないことにケチをつけて「上の者の足を引っ張れ」「下の者を作ってイジメろ」といった正義の代用品が多様に発明されていくでしょう。
 そして、それが禁じられると、今度は「上の者の足を引っ張る者の足を引っ張れ」「下の者を作ってイジメる者をイジメろ」という具合に、正義の代用品の発明には限りがないのです。このあたり、マスコミの独壇場ともいえます。(もっともマスコミが主体的に正義を求めるというより、大衆の求める鬱憤晴らしのために、モグラ叩きのモグラ役を次々に発見し提示することメディアとしてのビジネスが成立しているだけなんだけど)。」

-------
身も蓋もない、正論です。


posted by Fukutake at 13:39| 日記

2017年02月13日

若き日の碩学の旅

「西アジア遊記」 宮崎市定 
中公文庫 昭和六十一年

八章 十字軍 225p〜

 「西方において十字軍の飽くなき殺戮に兢々たりしイスラム民衆は再び、東方よりこれに勝るとも劣らぬ野蛮民族の侵入虐殺に遇いて戦慄を禁じ得なかった。そもそも彼等ははたしていかなる罪業を負うてこの世に生まれ、その贖罪の責を果たさねばならなかったか。苟くも贖うべき罪も無くして何故にかくのごとき不遇に際会せしか。曰く、彼等の社会が従来世界における富貴と栄耀の中心であったことすなわち彼等不幸の原因であったのだ。彼等の社会は他の世界に先んじて生活の快楽と幸福を享受し来った。しかも彼等はもっとも不幸な流、生活程度低き民族をその隣人に有した。不幸なる隣人を有する者は、彼自身不幸なるよりもさらに不幸なる目に遭うものだ。一個の閉ざされたる社会平和の維持し難きと同断である。これは倫理でもなく、道徳でもなく、ただ歴史が教うる現実なのである。
 成吉思汗およびその子孫が率いる蒙古軍は、世界の十字路より四方に向かって兵を進めた。西南ペルシャ方面のイスラム世界は最も手痛き打撃を蒙り、四百年来のアッバス王朝と、その藩主たるトルコ諸侯国はおおむね馬蹄に蹂躙せられ、ただエジプトに逃れたるムタンシルは辛うじてアッバス朝教主を名乗って、名目上の存在を維持し得た。蒙古軍は前後二回、黒海北岸の新開交通路を利してヨーロッパ方面への侵攻を企てた。ただ注意すべきは、蒙古人自身は未開の野蛮人であったが、中央ヨーロッパ、あるいは地中海岸に到達したる時の蒙古人は、単に蒙古人自身のみならず、多くの従者、最も進歩せる旧世界の文化人を陣中に伴っていた。蒙古人はやはり文明上において、知らず知らずの
中に文化伝播者たるの栄誉を担っているのである。」
-----

昭和12年秋より小アジアに入り、西アジアを巡った記録。
posted by Fukutake at 08:58| 日記