2016年06月27日

神話は人類に宿る共通の心。

「神話の力」The Power of Myth ジョーゼフ•キャンベル/ビル•モイヤーズ
飛田茂雄 訳 1992年 早川書房

フロイトとユングの無意識

104p〜
 キャンベル:民話の標準的なモチーフに、<禁じられたひとつのもの>というのがあるのです。自分の妻に「あの衣装棚は決して開けてはいけない」と言った青ひげの話を覚えていますか? そういう言いつけにはだれでも背きたくなるものですね旧約聖書の物語のなかでも、神は禁じられたひとつのものを指摘します。いいですか、神は人間が禁断の木の実を食べるということくらい、ちゃんと見通していたに違いないのです。しかし、人間はそうすることによってはじめて人間独自の生活を始めることができたのです。人間生活は実際、あの不服従の行為によって始まりました。

 モイヤーズ(インタビュアー):いま言ったような類似の要素についてはどう説明されるのでしょう。

 キャンベル:二つの説明が可能です。ひとつの説明は、人間の精神(psyche)は基本的には世界中どこでも同じだということです。精神は人間の肉体の内面的な経験ですが、その肉体はあらゆる人類を通じて基本的には同じです。みんな同じ器官を持ち、同じ本能を持ち、同じ衝動を持ち、同じ葛藤を経験し、同じ不安や恐怖を抱くのですから。この共通の基盤からユングが元型(アーキタオ
イプ)と呼んでいるものが出てきた。それが神話の共通理念です。

 モニャーズ:元型とはなんでしょうか。

 キャンベル:基本理念、あるいは基礎理念とも呼べそうなものです。こういう理念をユングは無意識の元型として語っています。「基本理念」というと知性の働きを連想させるので、「元型」のほうが適切でしょう。無意識の元型とは、それが下からやってくることを意味しています。ユングの言う無意識の元型とフロイトの言うコンプレックスの相違は、無意識の元型のほうが肉体器官とその力との表明だというところにあります。元型は生物学的な根拠を持っていますが、フロイトの無意識は個人の人生における癒しがたい外傷的な経験を抑圧したものの集合です。フロイトの無意識は個人的な無意識であり、自伝的性格を持っています。ユングの言う無意識の元型は生物学的であり、自伝的な要素は二の次です。
 世界中で、人類史上のそれぞれの異なった時代に、こういう元型が、つまり基本理念がさまざまな衣装をまとって出現しています。衣装の相違は環境および歴史的条件の反映です。文化人類学者はそういう相違に最も強い関心を向けることによって、それらを比較したり、その底にある同一性を見抜いたりするのです。


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二人の思索、人類に共通する神話の意味についての探求が「神話の力」The Power of Myth ジョーゼフ•キャンベル/ビル•モイヤーズ
飛田茂雄 訳 1992年 早川書房

神話は人間に宿る共通の心。

フロイトとユングの無意識

104p〜
 キャンベル:民話の標準的なモチーフに、<禁じられたひとつのもの>というのがあるのです。自分の妻に「あの衣装棚は決して開けてはいけない」と言った青ひげの話を覚えていますか? そういう言いつけにはだれでも背きたくなるものですね旧約聖書の物語のなかでも、神は禁じられたひとつのものを指摘します。いいですか、神は人間が禁断の木の実を食べるということくらい、ちゃんと見通していたに違いないのです。しかし、人間はそうすることによってはじめて人間独自の生活を始めることができたのです。人間生活は実際、あの不服従の行為によって始まりました。

 モイヤーズ(インタビュアー):いま言ったような類似の要素についてはどう説明されるのでしょう。

 キャンベル:二つの説明が可能です。ひとつの説明は、人間の精神(psyche)は基本的には世界中どこでも同じだということです。精神は人間の肉体の内面的な経験ですが、その肉体はあらゆる人類を通じて基本的には同じです。みんな同じ器官を持ち、同じ本能を持ち、同じ衝動を持ち、同じ葛藤を経験し、同じ不安や恐怖を抱くのですから。この共通の基盤からユングが元型(アーキタオ
イプ)と呼んでいるものが出てきた。それが神話の共通理念です。

 モニャーズ:元型とはなんでしょうか。

 キャンベル:基本理念、あるいは基礎理念とも呼べそうなものです。こういう理念をユングは無意識の元型として語っています。「基本理念」というと知性の働きを連想させるので、「元型」のほうが適切でしょう。無意識の元型とは、それが下からやってくることを意味しています。ユングの言う無意識の元型とフロイトの言うコンプレックスの相違は、無意識の元型のほうが肉体器官とその力との表明だというところにあります。元型は生物学的な根拠を持っていますが、フロイトの無意識は個人の人生における癒しがたい外傷的な経験を抑圧したものの集合です。フロイトの無意識は個人的な無意識であり、自伝的性格を持っています。ユングの言う無意識の元型は生物学的であり、自伝的な要素は二の次です。
 世界中で、人類史上のそれぞれの異なった時代に、こういう元型が、つまり基本理念がさまざまな衣装をまとって出現しています。衣装の相違は環境および歴史的条件の反映です。文化人類学者はそういう相違に最も強い関心を向けることによって、それらを比較したり、その底にある同一性を見抜いたりするのです。


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二人の思索、人類に共通する神話の意味についての探求が延々と続く。

posted by Fukutake at 08:04| 日記

2016年06月20日

変わらぬ自分

「脳から考えるヒトの起源と進化」養老孟司インタビュー (現代思想 2016.5)より

「同じという公式」 (143p〜)

 「人間社会はある程度進むと必ず平等論が出てきます。平等というのは嘘じゃないかということはみんな知っています。例えば、平等であるならば、なぜ男と女が平等だということをわざわざ「男女平等」と言わなくてはならないのでしょうか。あるいは高齢者と若者がなぜ同じなんだということです。平等論は「心の理論」です。見た目から何から実際には全部違うけれど、それらを全部同じと言うわけです。そして、「相手の気持ちになって」という話になり、自分と相手を交換するわけです。動物はそれをやりません。やらないからサルの社会は全部ボス支配で、自己中心的です。そう考えてみると、人間社会の大きな特徴である言語からお金から平等まで「同じ」という公式ですべて説明できるわけです。

 この問題に最初に引っかかったきっかけは、自己同一性ということです。「私は私、同じ自分」というのはどう考えてもおかしいと思います。私は自分のアルバムをみて、生後五十日のときの写真と今の自分とどこが同じなのかわかりません(笑)。現代人は客観性を重要視して、科学的に考える人たちであるならば、この赤ん坊はどう考えても別のものだと考えなくてはいけません。では、物質的に考えてみましょう。現代医学では七年経つと分子は全部入れ替わると言われています。そうなると私は十一回入れ替わっているわけです(笑)。どこが同じなんだと。そうやって考えていくと、自己同一性は完全な錯覚だということになります。しかし、面白いことに意識は毎日寝ることで切れます。しかし、毎回、記憶を含めて戻ってきます。戻ってくるたびに違うだと困るわけです。つまり、「私は私、同じ私」というのは、実は人間の意識そのものの性質だということです。なぜなら意識は「同じ」という働きを持っているわけですから。すると、意識が発生した瞬間、つまり戻ってきた瞬間に同じ私が戻ってくるというわけです。」

私も、すでに何回も生まれ変わっていたのですね。
posted by Fukutake at 08:19| 日記

2016年06月13日

癌について

「病の皇帝『がん』に挑む」人類4000年の苦悩(下)」 シッダールタ•ムカジー 田中 文 訳 早川書房 2013

がんとは

 「アウシュビッツ強制収容所から解放された後、焼け野原となったドイツを旅してようやく故郷のトリノにたどり着いた経験を持つイタリア人作家プリーモ•レーヴィはよく、強制収容所のもっとも致死的な性質の一つは、収容所の外の人生や収容所の先にある人生についての概念を消し去る能力だったと言った。個人の過去や現在は当然のごとく抹殺されたー強制収容所にいるということは、歴史もアイデンティティも個性も捨て去るということだーが、もっと恐ろしかったのは、未来の消去だった、と。未来の抹殺は道徳的、精神的な死をもたらし、収容生活という現実を永続させる。収容所の向こうになんの人生もないのなら、収容所を動かしているゆがんだ論理だけが普通の人生になる。
 がんは、強制収容所ではないが、同じような抹殺の能力を持つ。がんは外側や先にある人生の可能性を否定し、人生をまるごと呑み込む。患者の日々の生活は病気にあまりに強烈に占拠されてしまい、やがてはまわりの世界が消えて行く。そして、残ったわずかな気力も病気をなだめるのに費やされる。「こいつをどうやって克服するか。それが私の強迫観念になった。」ジャーナリストのマックス•ラーナーは自身の脾臓のリンパ腫についてそう書いている。「それが戦闘なら、持てるすべてを使ってー知識も策略も、表の作戦も裏の作戦も、すべて総動員してー戦わなければならなかった」
 

この大著を読んで、がんに対する認識ががらりと変わりました。
posted by Fukutake at 08:08| 日記