2016年05月30日

未来のことは予測不可能である

「ファスト&スロー(上)」ダニエル•カーネマン 村井章子 訳
ハヤカワ文庫2014

世界は予測不能である。

376p〜
 「さらに重要なのは、ファンドの運用実績は、どの年をとっても前年実績との相関関係が極めて小さく、ゼロをほんのわずか上回る程度だということである。つまり、ある年にうまくいったファンドは、ほとんど幸運のおかげなのだ。サイコロの目がよかったということである。ファンドのマネジャーのほぼ全員が、知ってのうえでかどうかはともかく運次第のゲームをやっているという点で、研究者の意見は一致している。トレーダーの主観的な経験は、極めて不確性の高い状況で、高度な知識に基づく賢明な推測はあてずっぽうより正確とは言えない。

 数年前、私は金融業界におけるスキルの錯覚をこの手で調べるという、めったにないチャンスに恵まれた。…アドバイザーに持続的な能力格差があるのかどうかがわかるし、同じアドバイザーが一貫して好成績を収めているかどうかもチェックできる、と私は考えた。…
 それでも結果が出たときには驚愕したものである。(統計的には)相関関係(各年の運用実績)の平均は0.01だった。つまりゼロである。
 私の計算結果は、アドバイザーの間の仕事が高度なスキルの差があることを示す相関性は、どこにも見当たらなかった。サイコロ投げに似ていることを示していた。」


小生は、以前国際商品相場を相手に仕事をしていたことがある。上のことは、実に納得のいく事実である。
posted by Fukutake at 16:26| 日記

2016年05月23日

昔は質素だったんだよ

「徒然草」二百十五段より

教科書に載っていて、何故か記憶に残っている段です。

現代語訳
「平宣時朝臣(大佛宣時)が老後の昔話に、「最明寺入道(北条時頼)がある夜まだ宵のうちに私をお召しになることがあったが、『早速…。』と申し上げはしたものの、着て出られるような直垂がなくてぐずぐずしていたところ、また使いの者が来て、『直垂などがないのでしょうか。夜のことだから、どんな服装でもいいからすぐに…。』ということだったので、よれよれの直垂を着て、こういう不断着のままでお伺いしたところ、入道は銚子に土器(かわらけ)を取り添えて持って出てきて、『この酒をひとりで飲むというのも物足りないからお呼びしたのです。ところが、肴(さかな)が何もないのだよ。何か適当なものがあるかどうか、あなたが行ってどこまでも探してきてくださいよ。』と仰せられたので、紙燭(しそく)をともしてあちらこちら探しまわったところ、台所の棚に小土器に味噌が少々ついたのを見つけ出して、『やっと』これを見つけ出してきました。」と申し上げたところ、『十分だろう。』と仰って、気持ちよく数献を重ねていいご機嫌になられました。その当時には何事もこんなふうだったのですよ。」と話してきかされた。

(原文)
 「平宣時朝臣、老の後、昔語に、『最明寺入道、或宵の間に呼ばるる事ありしに、「やがて」と申しながら、直垂のなくてとかくせしほどに、また使来たり手、「直垂などの候はぬにや。夜なれば、異様(ことやう)なりとも、疾く」とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのままに罷りたりしに、銚子(てうし)に土器(かわらけ)取り添へて持て出でて、「この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いずくまでも求め給へ」とありしかば、紙燭さして、隈隈を求めし程に、台所の棚に、小土器に味噌の少し附たるを見出でて、「これぞ求め得て候ふ」と申ししかば、「事足りなん」とて、心よく数献に及びて、興に入られ侍りき。その世には、かくこそ侍りしか』と申されき。」
posted by Fukutake at 14:05| 日記

2016年05月16日

病の皇帝ー「癌」

「病の皇帝『がん』に挑む 人類4000年の苦悩」(上)
シッダールタ•ムカジー 田中 文(訳) 早川書房 2013年

巻末の著者へのインタビューから(p370〜)
 
 「がんに対する心/脳の役割についてはどのようにお考えですか?

 −どんな病気でも、それに対する患者の精神的な反応には心/脳のつながりが重要な役目を果たしています。しかし、がんという診断に対する「正しい」反応というものはありません。患者に対して周囲の人々が、「ポジティブに考えていないから、治るものも治らない」とか「ネガティブな考え方ががんを招くのだからーもっとポジティブに考えなさい」とか言うのを聞くと、私は深い憤りを感じます。
 そうした考え方はいかにも中世的です。患者を責めて、病という重荷をさらに重くします。「ポジティブ」に考えていたにもかかわらず、悪性度の高いがんのために亡くなった患者さんを何人も知っています。その反対に、決して「ポジティブ」とは言えない反応を示していたにもかかわらず、今日も生存している患者さんも何人も知っています。そもそも原型的ながんなど存在しないのですから、なぜ原型的な患者さんが存在しなくちゃならないんです?がん治療だと言って「精神療法」を勧めるいかさま医者にはぞっとさせられます。がんの症状や、がんによる疼痛と不安に対する治療というのはありえますが、がんに対する精神療法という考え方は非常に危険です。
 とは言っても、脳から分泌されるホルモンにはがん細胞の生物学的性質を変化させる作用があり、その作用への科学的な関心は集まってきています。これはまだ誕生したばかりの分野ですが、この先10年で、多くの事実が解明されるはずです。


かん治療の歴史を丁寧に辿る筆者の筆力は凄いです。
posted by Fukutake at 11:34| 日記