2016年03月29日

満ちれば欠ける…

「徒然草 第八十三段」

竹林院入道左大臣殿、太政大臣に上がり給はんに、何の滞(とどこほ)りかおはせんなれども、「珍しげなし。一上(いちのかみ)にて止(や)みなん」とて、出家し給ひにけり。桐院左大臣殿、この事を甘心(かんしん)し給ひて、相国の望みおはせざりけり。
 「亢龍の悔あり」とかやいふこと侍るなり。月満ちて欠け、物盛りにしては衰(おとろ)ふ。万(よろず)の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。」


(訳*イラスト古典全訳 徒然草 橋本武)
 「竹林院入道左大臣殿(西園寺公衡)は、太政大臣に昇進なさるということに、何の支障もあおりになるはずもないのであるが、「当然の結果となっても珍しいこともない。それよりも左大臣のままで終わることにしよう。」と言って出家されてしまわれた。洞院左大臣殿(藤原実泰)は、この事にいたく感動なさって、太政大臣になりたいという望みはお持ちにならなかった。「昇りつめた竜には悔いが生ずる」とかいうことも、昔から言われているところです。月は満月になれば欠けはじめるし、物は盛りを極めれば衰えはじめるものである。何事でも将来が行き詰まっているのは、結局は破綻するしかない道理であり。」


posted by Fukutake at 16:12| 日記

2016年03月22日

慟哭の名文

唐宋八家文 韓愈(かんゆ)十二郎を祭る文 より

現代語訳
「ああ、そなたの病気になったのも知らず、そなたの死んだ日も知らない。生きている時は扶養して同居することもできなかった。死んでもそなたにとりすがって哀しみを尽すこともできず、柩に納めるときも側に居てやれず、埋葬にも立ち会うことができなかった。私の行いが神に背いたためにそなたを若死にさせてしまた。先祖に対しては不孝、そなたに対しては不慈であり、そなたと一緒に生活することも、そなたの柩を守ることもできなかった。一方は天の涯て一方は地のすみに遠く離れて、生きていたときも幼い日のように影が形に添うように暮らすことができなかった。死んでもそなたの霊魂が私の夢に現れて相逢うことも適わない。これみな私の所為なのだからこの上なにをとがめよう。蒼蒼たる天よ私の悲しみはいつになったら終わるのであろうか。
これから後、私はこの世界に居たくない。手ごろな広さの田を伊水か潁水のほとりに持って残された年を送りたい。吾が子とそなたの子を教え、一人前になるのを願い、吾が娘とそなたの娘が成長してともに嫁に行くのを待ちたい。これだけが望みだ。ああ言葉は限り有るが、情は尽きることが無い。そなたに私の言葉がわかるだろうか。あるいはわからないであろうか。ああ哀しいかな御霊よ願わくは饗(う)けよ。」


読下し文
「嗚呼、汝の病むに吾時を知らず、汝の歿するに吾日を知らず。生きては相養いて以って共に居ること能わず。歿しては汝を撫して以って哀しみを尽すを得ず。歛(れん)するにその棺に憑(よ)らず窆(へん)するにその穴に臨まず。吾が行い神明に負(そむ)いて汝をして夭せしむ。不孝不慈にして、汝と相養いて以って生き、相守りて以って死するを得ず。一(いつ)は天の涯に在り、一は地の角に在り。生きて影の吾が形と相依らず、死して魂の吾が夢と相接せず。吾実(まこと)にこれを為せり、それまた何をか尤(とが)めん。彼(か)の蒼たるものは天、曷(いつ)かそれ極まり有らん。
 今より已往(いおう)、吾それ人生に意無し。当に数頃(すうけい)の田を伊潁(いえい)の上(ほとり)に求めて、以って余年を待つべし。吾が子と汝が子を教えて、その成るを幸(ねが)わん。吾が女(むすめ)と汝が女とを長じて、その嫁するを待たん。此の如きのみ。嗚呼、言窮まり有って情終(お)うべからず。汝それ知れるか、それ知らざるか。嗚呼哀しいかな。尚(ねが)わくは饗(う)けよ。」

(貞元十九年(803年)韓愈三十六歳の夏の作。叔父甥といっても兄弟同様に育った年齢の近い甥の韓老成が急逝したことの驚き、痛恨の思いあふれる文章である。老成の子湘と子の昶は韓愈が存命中に進士に及第したので、亡兄への責任は果たしたと言える。)
posted by Fukutake at 12:10| 日記

2016年03月16日

三島由紀夫も誤解!?

「世につまらない本はない」養老孟司、池田清彦、吉岡 忍、朝日文庫 2015

三島由紀夫は誤解していた!?
35p
「三島由紀夫は『誤解』から生まれた」
 「…話を、脳の発達と「知育=入力」「徳育=演算」「体育=出力」に戻しましょう。
 この「入出力が循環する」ことの大切さを最初に表した言葉こそ、他の著書でも書きましたが、「文武両道」だったと思います。
 「文」というのは、脳に入るほうで、いわゆる「知育」です。「武」と言うのは出すほうで、つまり「体育」です。
 「文武両道」とは、本来、入力した結果を身体で動かし、身体を動かすことで新たな入力を得る、という意味だったのでしょう。
 ところが、いつごろからか、勉強も運動もできる、というように、別々のものにしてしまった。
 その誤解があまりにも定着したから本場の中国で次に何を言い出したかというと、王陽明の「知行一致」なんです。「知」というのは入力で、「行」はまさに出力。それが一つにならなきゃいけない、という考えです。
 しかし、それもまた誤解された。誤解されてどうなったかというと、大塩平八郎になり、三島由紀夫になった。つまり、頭で理解したことを直ちに実行しなきゃいけない、ということになった。
 そうじゃない。「知行は循環する」という意味なのです。赤ちゃんが歩き出してハイハイし始めて、世界の景色が変わる。その変わったことを見ながら行動が変わる、「知行一致」はこの循環を意味していた。
 そのことを、おそらく、いまの人たちは、よくわかっていないのではないでしょうか。何しろあの三島由紀夫だってわからなかったくらいですから。」

そういう意味だったんですか。
posted by Fukutake at 07:01| 日記