2015年10月28日

強くなれ、自信を持て、日本

エマニュエル•トッド「幻想の大国を恐れるな」
文藝春秋2015年10月号掲載寄稿文より

同誌109〜110pより抜粋
 「日本では現在、アメリカとの集団的安全保障の法制化を巡って、反対デモが起ったり、議論が活発におこなわれているようです。しかし私は。この問題も、感情的ではなく冷静に考えなければならないと思います。
 アメリカが世界の警察であった時代は既に終焉しました。それは、世界でのさまざまな紛争に対する姿勢を見れば明らかです。そういった情勢の中で、日本がアメリカとうまくやっていくためには、軍事的にもより協力的になることで、今まで以上に連携を強固なものにしていく必要があります。アメリカと軍事同盟を結んでいるのであれば、アメリカが日本に軍事的に貢献しているように、日本もアメリカに貢献しなければならないということです。
 日米の安全保障強化を否定的に見る人たちは、軍事的にも産業的にも日本がアジアでは唯一の大国で、非常に攻撃的だった一九三〇年代に、すぐに思いを馳せてしまいます。
 しかし、少子高齢化が進み、人口も減少傾向にある成熟国家となった日本が、他国に対して攻撃的になるはずがありません。現在の日本がいくら軍事力を強化しても、それが覇権追求的なものになることはあり得ません。
 私が日ごろから非常に不思議だと感じているのは、日本の侵攻を受けた国々だけでなく、日本人自身が自分たちの国を危険な国家であると、必要以上に強く認識している点です。
 長い日本の歴史の中で、日本が侵略的で危険な国であったのは、ほんの短い期間にすぎません。しかも日本が帝国主義的で軍国主義だった二十世紀の前半は、ヨーロッパの大国も同じことをやっていました。当時の欧州は今と比べ物にならないくらい帝国主義的、膨張主義的だったのです。当時の趨勢を俯瞰してみれば、日本はそういった世界の趨勢に追随したようにしか見えません。ですから、当時の日本の攻撃的な性格はもともとあったもので、日本という国家の決定的な本質であるかのような議論は、まったく非現実的だと思うのです。
 今の日本は平和的な国家であり、一定の軍事力をもって、世界の安定化に積極的に貢献することができる資質を持っています。日本がフランスなどのようないわゆる「普通の国」になって、何がおかしいというのでしょう。」

小生には、至極まともな意見と思えます。
posted by Fukutake at 08:40| 日記

2015年10月21日

文字は人間のためになるのか。

プラトン「パイドロス」藤原令夫訳 岩波文庫 からの引用

何故自分の言葉を文字に残さないのかと聞かれ、ソクラテスは答える。

「私が聞いたのは、こんな話だ。エジプトのナウクラティス地方に、この国に古くからいる神々の一人が住んでいた。イビスという聖鳥を使役していたこの神は、自身の名をテウトという。数や計算、幾何学と天文学、将棋の駒やサイコロを発明したのがこの神だが、その発明の最たるものが文字なのだ。ところで、当時のエジプト全土の神々の王の地位には、太陽神タムスが君臨していた。テウトはタムスを訪れ、自分が発明した数々の技術を披露したうえで、これらの技術をあまねくエジプトの民に広めるべきだと思うが、と進言した。タムスはすべての技術の用途を尋ねて、悪いと思った点は非難し、よいと思った点は称賛した。それぞれの技術について、タムスはよいところはよい、悪いところは悪いと、言葉を尽くして自分の意見を述べたそうだ。さて、いよいよ文字の番になって、テウスはこう言った。「王よ、この文字というものを学べば、エジプト人の知恵は増し、記憶力もよくなることでしょう。私が発見したのは、記憶と知恵の秘訣なのです。」
 しかし、王テムスは答えてこう言った。「ああ。類い希なる頭脳の持ち主テウスよ、技術と呼ばれるものを生み出す能力に恵まれた者と、生み出された技術がそれを使用する人々にいかなる害と益をもたらすかを判断できる者は別なのだ。今の我が身を振り返ってみるがよい。文字の生みの親であるが故の思い入れのせいで、文字の真の効用に反することを謳ったではないか。人々が文字を学んだら、学んだ者の心に忘れっぽさが植え付けられよう。書かれたものに頼って記憶力を使うことをやめ、内なる記憶に刻んだものからではなく、外の自分以外のものに刻みつけられた印によって思い出そうとするようになるからだ。あなたが発見したのは記憶の秘訣ではなく、想起の秘訣なのだ。」

耳が痛いですね。
posted by Fukutake at 09:04| 日記

2015年10月14日

文章を読む能力

「プルーストとイカ」−読書は脳をどのように変えるか?− メアリアン•ウルフ 小松淳子 訳 インターシフト 2008年

ディスクレシア(読字障害)について

第9章 331p〜
 「文字を読む脳をテーマにした本なら、読字に適さない脳にわざわざページを割くこともなかろうにといわれそうだ。しかし、素早く泳げないイカは、それを埋め合わせる方法の学び方について、たくさんのことを教えてくれる。確かに、素早く泳げないイカは完璧な例とは言い難い。しかし、もし、泳ぎの下手なイカが死なずに済んだだけでなく、イカの個体数の五〜十パーセントにのぼる子孫を増やし続けたとしたら、ハンディをものともせずにそれほどうまくやれたのはいったいなぜかと、問いただしたくもなるだろう。読字は遺伝で受け継がれるものではないし、読字を習得できない子どもが生き残れないわけでもない。それより重大なのは、ディスクレシアに関連した遺伝子はしぶとく生き残るということである。
 その理由のひとつは、ロダンやチャールズ•シュワブをはじめとする、ディスクレシアでありながら優れた才能に恵まれた人々のリストを見れば、わかるはずだ。もうひとつの理由は、人間の多様性に関係している。ノーマン•ゲシュヴィントが口癖のように主張していたとおり、人間がさまざまニーズを満たせる社会を形成できるのは、ひとえに、遺伝子が与えてくれる長所と短所が多様だからである。一見、遺伝子的な才能と文化的な弱点が乱雑に入りまじっているようなディスクレシアも、人間の多様性の一例だ、人間の文化があらゆる才能に恵まれているのも。この多様性のおかげである。ピカソの『ゲルニカ』、ロダンの『考える人』、ガウディの『ラ•ペドレラ(カサ•ミラ)』、レオナルド•ダ•ヴィンチの『最後の晩餐』は、あらゆる書かれた文章同様、人間の知能の進化を表す本物の象徴だ。これらを創造したのが、ディスクレシアであった可能性が高い人物たちというのは、偶然ではない。


人間(人類)は複雑ですね。
posted by Fukutake at 09:37| 日記