2018年01月18日

殺人者が抱く空想

「快楽殺人の心理」- Sexual Homicide- FBI心理分析官のノートより
ロバート・K・レスラー   狩野秀之=訳 講談社+α文庫

355p〜

(殺人者の空想の世界)
 「快楽殺人においては、空想が重要な役割を演じるので、殺人者がどんな空想を抱いているかを知ることは大きな意味がある。とはいえ、長いあいだ空想に沈溺してきた人間は、自分の空想ついて簡単には話そうとしない。そのため、空想について話させるには、穏やかなアプローチのほうが功を奏することが多い。空想には強い強迫観念と感情がこめられており、その人間にとりついて離れない。
 ただ、殺人者自身は、精神が高揚したときに、その空想が生み出すイメージや感覚、心のなかでの対話などに気づくにすぎない。
 殺人者が空想を抱いていることは、その殺人者が口にする数多くの細かいことがらから読み取れる。そうした細部が、殺人者が何を考えて行動しているかを示す、最良の指標となるのだ。われわれがインタビューした殺人者の多くは、そうした殺人計画の細部を通じて、自分の優越性や支配力、頭脳の明晰さを示そうとしていた。空想にふけることは、感情的な刺激と同時に、力や支配力といった感覚をもたらす。いくつかの事例では、そうした空想のおかげで、殺人者たちが完全な無秩序型もしくは精神異常に陥らずにすんだようにさえ見える。
 われわれがそのことを知ったのは、殺人者たちが、犠牲者に自分の計画を妨げられたときに激怒したと語っていたことからだった。彼らは、狂っているとかマニアックであると見なされることをひどく嫌がっている。というのも、彼らにとって、そうした言い方をされるのは、愚かで馬鹿げた、無軌道なやりかたで行動すると思われていることを意味するからだ。
 こうしたインタビューで用いる言葉づかいの重要さは、次の例によく示されている。
  捜査官 あなたは、自分の空想の世界をコントロールできなくなっていたと思いますか?
 殺人者 その言い方は正しくない。あげ足鳥をするつもりはないが、「私の空想の世界」というのは違う。私は、自分の空想がコントロールできなかったとは思っていない。コントロールできなかったのは、私の現実の世界だ。現実の世界を、私はいつも歪んだ形で見ていた。

このやりとりは、殺人者が、自分の空想はコントロールできるのに、現実の世界はコントロールできないと感じていることを如実に示している。」

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殺人者の心理。現実の姿が歪んで見える!
posted by Fukutake at 09:45| 日記

2018年01月15日

異能の人

「異星人伝説」−20世紀を創ったハンガリー人− マルクス・ジョルジュ(著)
 盛田常夫(編訳) 日本評論社 2001年

 「セント-ジョルジィ、アルバート」
203p〜

 「「大胆に思考せよ。間違いを恐れるな。細かい所まで気を配れ。目を見開いておけ。目標以外のすべてに謙虚であれ」。セント-ジョルジィが英語で記した詩まがいのモットーのようなものだが、これが彼の行動指針を表現している。

 「マッチで一杯の箱を振っても何も起こらないよね。でもそこから何本か取りだして箱を振ると、マッチが動くのがわかる」。教授は「生命とは何か」という究極の問題を説明するのに、このような事例を使った。「生物学が僕にとって魅力的なのは、その非常に繊細なところだ。反応のスピードとその繊細さがたまらない。ほとんどの時間、DNAは不活動状態にある。たんぱく質の一つの分子だけでも、細胞の中で物凄く高いエネルギーをもった巨大な身体のようなものだ。生命を理解するには、小さな単位がどのように動くのかを観察しなければならない。一九四〇年にセゲドで出した論文で、たんぱく質は電子を誘導すると記した。化学的に隔離されているたんぱく質は白い。たんぱく質を赤くするためには、電子を放出してやらなければならない。だから、たんぱく質が半導体だということが分かる。僕がリナス・ポーリング(Linus Pauling)と通りで出会った時に、彼は遠くから叫んでこう言うのだ。<たんぱく質は半導体じゃないぞ>って。こうやって全面的に否定されると、僕は励まされるんだ。もし僕のアイディアが簡単に受け入れられたら、逆に僕は懐疑的になる。僕の発見は凄いことじゃないんだとね」。

 セント-ジョルジィの大胆さと、科学者の世界に批判的な」反応が目に見えるようだ。非常に強いハンガリー訛りで、こう宣言したことがある。「草」と「草を刈る人との間には、本質的な差異はない」、と。こうだから、セント-ジョルジィは権威ある科学雑誌よりも単行本で自分のアイディアを出版することが多かった。彼は自分の研究プログラムをバイオ電子工学と呼んでいた。八十歳になっても、ウィンドサーフィンと量子力学を学ぶのに必死だった。」

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セント-ジョルジィはパプリカからビタミンCを抽出して、ノーベル賞を得た。
posted by Fukutake at 08:22| 日記

2018年01月09日

市場主義、利益最大化主義の終焉

「ファストフードが世界を食いつくす」(その2) エリック・シュローサー 
楡井 浩一=訳 草思社 2001年

「市場」独占の悲劇
 363p〜
 科学的社会主義者
 「われわれを取り巻くファストフード国家に関して、変えられない事柄など何ひとつ存在しない。マーケティング戦略、労働方針、農業技術、他社への追従と安売りへの執拗なまでの取組みなど、どれを取ってもだ。マクドナルドやその模倣者たちの成功も、けっして、あらかじめ運命づけられていた訳ではない。過去二〇年間、真の競争や選択の自由とはほど遠いわが国の経済変化が、“自由市場”などという巧言によって覆い隠されてきた。航空産業から出版産業、鉄道からテレコミュニケーションの分野に至るまで、アメリカ企業は、過酷な市場競争を避けるために、同業他社を排除し吸収することに心血を注いできた。一九九〇年代にアメリカ経済成長の原動力となった産業−−コンピュータ産業、ソフトウェア産業、航空宇宙産業、人工衛星産業−−は、何十年間も国防省(ペンタゴン)の助成を受けてきたものばかりだ。
 (中略)
 市場はひとつの道具であって、便利なものだ。しかしこの道具を崇拝するのは、むなしい信仰だと言える。道具そのものよりはるかに重要なのは、それを使って何を作るかということだ。アメリカの偉大な業績の多くは、自由主義と真っ向から対立している。児童労働の禁止、最低賃金の設定、自然保護区域や国立公園の設置、ダム、橋、道路、教会、学校、大学の建設などだ。もし束縛されない売買の権利だけが大事なのであれば、汚染食品はスーパーマーケットの棚から排除されず、有害ごみは小学校の隣に廃棄され、個々のアメリカ家庭は年季奉公人をひとり(ないしふたり)他国から移住させて、賃金の代わりに食事で支払うという事態になりかねない。
 (中略)
 二十世紀の歴史は、全体主義体制を採る国家権力との闘いに彩られた。二十一世紀は間違いなく、行き過ぎた企業の力を削減する戦いの世紀になるだろう。世界じゅうの国々が直面している大きな問題は、市場における効率性と非道徳のあいだで、いかにバランスを取るかだ。過去二〇年間、アメリカはひとつの方向に極端に走り過ぎ、労働者や消費者や環境を守るための規制を弱めてきた。自由を約束するはずの経済システムは、往々にして、それを否定する手段になってしまう。限られた企業による市場の独占が、もっとも重要な民主的価値観を押さえつけるからだ。」

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ファストフード業界に典型的に現れる資本主義社会の地獄
posted by Fukutake at 09:19| 日記