2017年11月20日

幻のインタヴュー

「告白」− 三島由紀夫 未公開インタビュー  講談社 2017年

(1970年(昭和45年)に行われたインタビューより)

52p〜

 「ジョン・ベスター(*):日本の憲法が偽善だとおっしゃったんですけど、…むしろインテリのことですか。

三島由紀夫:インテリのことですけど、つまり、なぜ憲法が偽善かというのは、僕はほかの新聞にも書きましたけど、ヤミ食糧取締法というのが戦後あったんです。そして、その法律のとおりにしていると死んじゃうんです。ある裁判官がその法律を一生懸命守っていたら、栄養失調で死んじゃったんですよ。それで新聞にでかでか出たんです。日本中全部でその法律を破っていたんです。ブラックマーケットからおイモを担いて生きていたんです。人間が生きるためには、その法律を破らなければならなかったんです。
 法律か死かという問題は、ソクラテス以来の一番本質的な問題だと思うんです。そうすると、日本の憲法を本当に文字どおりに理解すれば、日本人は絶対に死ぬほかないんです。つまり、自衛隊なんてあってはいけないんです。警察でもあってはいけないかもかもしれません。日本中、完全なオープンカントリーで何もなきゃ、なくてはいけないんです。つまり、日本で今やっていることは全部憲法違反です。僕はそう思いますよ。それをみんな現実として認めていますけど、政府のやっていることも、誰のやっていることも憲法違反です。ですから、死なないために我々は憲法を裏切っているわけですよ。
 そうすると、ヤミ取締法と同じで、法律というものがモラルをだんだんにむしばんでいくんです。我々は死ぬのは嫌だから、仕方がないから抜け道で生きていくんだ。それはソクラテスの死と反対でしょう。ソクラテスのような死に方をしたのがその裁判官で、偉い人ですね。だけど、人間はみんなそうやって死ぬわけにいかないんです。生きなきゃならない。だから、今の憲法では、僕は正当防衛理論が成り立つと思うんですよ。死なないために今の憲法の字句をうまくごまかして自衛隊を持ち、いろんなことをやって日本は存立しているんですね。日本はそういう形で何とか形をつけているんです。でも、それはいけないことだと僕は思うんです。人間のモラルをむしばむんです。
 理想は理想で、僕は立派だと思う。僕は、憲法九条というのが全部いけないと言っているんじゃないんです。つまり、人類が戦争をしないということは立派なことです。平和を守るということは立派なことです。ですが、第二項がいけないでしょう。第二項がアメリカ占領軍が念押しの規定をしているんですよ。…そうやって日本人は二十何年間、ごまかしごまかし生きてきた。これから先もまたごまかして生きて行こうと思ってる…」

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(*)ジョン・ベスター(ウィキペディアより)
「1945年、第二次世界大戦末期に、イギリス海軍の日本語通訳養成に応募し、日本語を学び始める[2]。終戦後、ロンドン大学東洋アフリカ研究所(SOAS)の学部、大学院で学び、1953年に仏教研究を志して来日[3]。やがて大学で教鞭を執ったり、朝日新聞社の英文季刊誌『ジャパン・クォータリー』の翻訳などに関わりながら、日本文学の英語への翻訳を手がけるようになり、1970年代半ば以降は翻訳に専念する[2]。この間、井伏鱒二『黒い雨』、大江健三郎『万延元年のフットボール』ほか、多くの日本近現代文学の作品を英訳した。1980年には、阿川弘之の『山本五十六』を英訳した『The Reluctant Admiral』で日本翻訳出版文化賞を受賞した 1990年、三島由紀夫『三熊野詣』の英訳と長年にわたる日本文学の翻訳紹介活動に対して第1回野間文芸翻訳賞を受賞した」

posted by Fukutake at 08:29| 日記

2017年11月16日

何をあくせく

「徒然草」イラスト古典全訳 橋本 武 日栄社 平成1年

第三十八段より 52p〜

 「…不朽の名声を末長く後世に残すというのは、誰にとっても望ましいことと考えられるであろう。しかしながら、高位高官であるというだけですぐれた人とは言えまい。なぜなら、愚かで何のとりえもない人でも、家柄の高いところに生まれ、時運に乗ずれば高位にのぼり、贅沢三昧に明け暮れるものもある。それとは逆に、文句なしにすぐれた賢人・聖人でも、みずから低い地位に甘んじており、時運に恵まれないままに生涯を終えてしまう例もまた多い。だから、ただいちずに高位高官を望むのも、物欲を望むのに次いで馬鹿げている。
 高位高官は不可としても、頭脳と人格とについては一世に卓絶しているという名誉も残したいものであるが、よくよく考えてみれば、名誉を愛するのは結局は人の評判を喜ぶにすぎないことである。誉める人もそしる人もいずれもこの世にとどまるものではなく、それを伝え聞く人だって、これまた同様にたちまちこの世から姿を消すであろう。こんなわけだから、誰に気がねすることもないし、誰に知ってもらいたいと願う必要もない。それに、名誉はまた非難を生み出すもとである。だから、死後の名誉が残ってみたところで何の利益もない。ゆえに、これを得ようと願うのも、高位高官を望むのに次いで馬鹿げている。」

原文
 「…埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ、位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生まれ、時に逢へば、高き位に昇り、奢(おごり)を極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから賤しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる。また、多し。偏に高き官(つかさ)・位を望むも、次に愚かなり。
 智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり。誉むる人、そしる人、共に世に止まらず。伝え聞かん人、またすみやかに去るべし。誰にか知られん事を願はん。誉はまたそしりの本なり。身の後の名、残りて、さらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。」
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posted by Fukutake at 08:43| 日記

2017年11月13日

「陶淵明と死」

「生と死のことば − 中国の名言を読む」 川合 康三  
  岩波新書 2017年

「晩夏に擬する詩」其の三より 164p~

 (訳)「枯れ果てた草が果てしなく広がる。墓地の白楊も寂しく風に鳴る。
 霜の冷たい九月、私の棺は遠い野辺まで運ばれる。
 四方には人家の一つなく、土まんじゅうが高々と聳える。
 馬も私を偲び、天に向かって嘶く。風もわたしを悼み、悲しげに吹き寄せる。
 暗い墓穴がひとたび閉じられたら、千年たとうと二度と朝は来ない。
 千年たとうと二度と朝は来ないのは、賢人達人にもどうしようがない。
 ついさきほど野辺送りをしてくれた人たちも、もうそれぞれの家に帰って行った。
 親族には悲しみの尽きせぬ者もいるが、他人ははや鼻歌を口ずさんでいる。
 死んでしまうのは言い立てるほどのことか。むくろが山の土になるにまかせるだけ。」

(書き下し文)
 「荒草 何ぞ茫々たる
  白楊 亦た蕭々なり
  厳霜 九月の中(うち)
  我を送りて遠郊に出ず
  四面 人居無く
  高墳 正(まさ)にしょうぎょうたり
  馬は為に天を仰いで鳴き
  風は為に自ら 蕭条たり
  幽室 一たび已に閉ずれば
  千年 復(また)朝(あした)ならず
  賢達も奈何(いかん)ともする無し
  向来(さきごろ) 相(あい)送りし人
  各(おの)おの已に其の家に帰る
  親戚 或いは悲しみを余すも
  侘人(たにん) 亦た已に歌う
  死し去るは何の道(い)う所ぞ
  休みを託して山阿に同じきのみ」

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posted by Fukutake at 09:34| 日記