2019年05月23日

法の価値

「プラトン」 ジャン・プラン  戸塚七郎訳 文庫クセジュ 白水社
(その2)

(続き) p57〜
 
  「…お前自身にしても、第一、どこかこの国に最も近い国に行ったところで、たとえそれがデバイであろうとメガラであろうとーこの二つを挙げたのは、どちらも良い法を持っているからなのだが、−お前は彼らの国の敵として行くことになろうし、また、いやしくも自分の国のためを思っている者なら、お前を法の破壊者と見做して白い眼で見ることであろう、そしてお前は、裁判官のために、彼らは裁判を正しく裁いたという考えを固めることであろう。法を破るものは誰でも、ほんとうに、年も若く考えも浅い人間を破壊する者でもあると特に考えられることだろうから、それではお前は、よい法を持っている国と特に秩序正しい人びとを避ける積もりなのかね。こんなことをしても、お前には生き甲斐があるのだろうか。…しかし今では、もしこの世を去るなら、お前は不正な目にあった者として、それもわれわれ法によってなされるのではなく、人間によって不正を加えられて去ることになるのだ。だがお前が、受けた不正やひどい仕打ちに仕返しをして、すなわち、われわれに対して結んだお前自身の同意や約束を破り、決してしてはならないものに、つまりお前自身にも、また同胞たちや祖国やわれわれにもひどい仕打ちをして、これほどまでに醜いさまでこの世を去るとしたら、お前が生きている間は、われわれがお前に腹をたてるし、またわれわれの兄弟であるハデスの法がお前を快く迎えてはくれないであろう。お前については、われわれをも滅ぼそうと企てたことを、彼らは知っているのだから。 ”
 一口で言えば、ソクラテスは「告発者たちに自分の死を遺すことで、彼らに復讐した。」のである。」

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posted by Fukutake at 11:44| 日記

2019年05月20日

法と哲学

「プラトン」 ジャン・プラン  戸塚七郎訳 文庫クセジュ 白水社
(その1)
 p56〜
 
 ((ソクラテスは)「不正を犯すよりは、むしろ不正を蒙るほうがよい」とする)
  「ソクラテスはこのことを、死を宣告した裁判官の判決を甘受した時の態度において、また、彼を牢獄から逃亡させようと願っていた友人たちの努力に対し、拒絶をもって応じたことによって、立派に示したのである。この拒絶については、逃亡を勧めにきた『クリトン』が法を擬人化している有名な箇所で、その理由をわれわれに説明している。ソクラテスは逃亡を勧めにきたクリトンに向かって、次のように言っている。「われわれがここから逃亡しようとしているところへ、(これを逃亡と言おうと、或いはどう名づけるべきであろうと構わないが)、とにかくそうしようとしているところへ、法律と国家がやってきて、前にたちはだかりこう尋ねたとする。“言ってみたまえ、ソクラテス。お前は何をするつもりなのか。お前が企てているその所業によって、こんどはお前が、われわれ法と国家全体を破壊するつもりではないのか。それともなにか、下された判決がなんの力もなく、個人のために権威を失墜した上に、無効とされたとしても、その国が依然として存在し、滅ぼされずいることができると、お前は考えているのか。…これ、ソクラテス、われわれには、お前がわれわれにもこの国にも満足していたことの立派な証拠があるのだ。お前が人並み以上に気に入っていたのではなかったら、他のどんなアテナイ人以上に、この国に留まるということは決してなかったろうからな。…とりわけ子供を、お前はこの国で作ったが、それはこの国がお前の気に入ったと考えたからのことだ。その上なお、裁判の時にしても、お前が希望さえすれば追放の罰を申し出ることができたのだ。つまり、今お前が、国が望んでいないのにやろうとしている丁度そのことを、あの時には国の意にそって為すことができたのだ。それなのにお前は、あの時には、死ななければならなくても嘆き悲しまないような風を装い、追放の代わりにーこれはお前自身が言ったのだー死を要求した。ところが今はどうだ。お前はあの時の言葉を恥ずかしいとも思わなければ、われわれ法に注意を払うこともしないで、われわれを滅ぼそうと企て、最も愚かな奴隷ならするかもしれないようなことをやろうとしている。つまり、それに従って国家生活を送るとわれわれに約束したその協約や同意に背いて逃亡しようとしているのだ。…」(次回に続く)
posted by Fukutake at 09:18| 日記

2019年05月15日

民主主義のなれの果て

「プラトン」 アレクサンドル・コイレ  川田 殖(しげる)訳 
 みすず書房 1972年
(その2)

p195〜

 「この過程を十分に理解するためには、ひとは民主主義国家というものの社会的構造を、十分に頭においておかなければならない。それは結局寡頭制下における社会構造とほとんど同じであって、金持ち階級、一般大衆、それからいわゆる「雄蜂」と言われる零落階級とから成っている。ただ違うところはまず、寡頭制においては一般大衆はなんらの発言権を持っていないのに対し、民主制においては「一般大衆、つまり労働者およびとりたててなんらの公務についていない者たちも、その数のゆえに、最も有力な階級となる」という点であり、第二に、寡頭制においては軽蔑され、行政職から締め出されていた「雄蜂たち」が、民主制国家では、−−プラトンによって最も忌み嫌われ、最もさげすまれたー職業的政治家の階級、つまり大衆を操作し、かつこれにへつらい、「持てる者から財産を奪い、民衆にも分け与えはするが、大部分は自分が持つという目論見のもとに」大衆を煽動し、富めるものに対してあらゆる種類の不正を加える者たちの階級を形づくる、という点である。このような動きに対して有産階級はあらゆる手だてをつくしてみずからを守ろうとする。そして初めのうちは合法的手段に訴えてこれを試みるが、その試みが大した成功を収めず、ただ寡頭制を守るために人びとやその現場に対して陰謀を企てているという非難を受けるだけに終わるや、今度は非合法的手段をも辞さないようになる。初めは単に想像上のことにとどまっていた陰謀は、いまや現実となる。そうなると、その恐怖の犠牲者になるのは一般大衆である。そして、事ここにいたるともはや恐怖ということがこれに続くあらゆる変革の決定的な要素となり、これが国家の生活全面を支配することになるのである。

(コイレ注:私たちは国家というものを形づくる最終的基盤が共同ということであって、互いに対する恐怖にあるのではないということを見てきた。しかし堕落した国家においては恐怖がついに共同に取って代わるようになる。こうしてソフィストたちが、その社会哲学上の説明において、頽落した国家をあたかも通常の国家であるかのように考えるのは間違っていると言わざるをえない。)

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あとには、頽廃した破滅的な独裁制が待っている。
posted by Fukutake at 09:17| 日記