2020年01月29日

メモしろ

「医師は最善を尽くしているか Better: a surgeon’s notes on performance」 アトゥール・ガワンデ 原井宏明訳 みすず書房 2013年

あとがき より
医学生への五つのアドバイス(その4)
 p235〜
 「私の四つめのアドバイスは「何か書け」である。無理なことをしろというつもりはない。ブログに数節書いたり、医学雑誌に論文を投稿したり、あるいは文学同好会で自作の詩を披露したりなど何でもいい。とにかく書きなさい。完璧を目指す必要はない。あなた自身の世界を観察してくれる他人を加えることが必要である。
 たとえ、控えめなものでも、書くことによる貢献の効果を見くびってはいけない。… 控えめな貢献でもそれを大勢からまとめれば、個人技では絶対できないようなパワフルなノウハウの集積ができあがる。これが科学の内側でも外側でも真実なのである。
 また、書くという行為自体の力を見くびってもいけない。医師になるまでは私自身書いていなかった。しかし、いったん医師になると、書く必要があると気づいた。医療は複雑だから、知的というより、身体的な苦労を強いる。医療は小売業だから、医師は自分のサービスを一人、また一人と一人ずつ提供しなければならず、単調で辛い仕事にもなる。なんのためにやっているのか大きな目的を見失うこともあるだろう。しかし、書くという行為は仕事から一歩身を引き、問題を見渡す機会を与えてくれる。度をすぎた怒りに駆られたときでも、書くことによって、思慮深さをある程度は保てる。
 そして何よりも、たとえ小さなことでも、読み手に周りの大きな世界の一員という感覚を与えてくれる。ニューズレターに何か思いついたことを少し書いてみるといい。そうすればあれこれ神経質に考えはじめていることに気づくだろう。「他人は気づいてくれるかな? みんなはどう考えるだろう? 私は馬鹿なことを言っていないか?」読み手とはコミュニティーのことである。文字になったことばはそのコミュニティーのなかの一員になったという宣言であり、そしてそのコミュニティーに今後も何かで貢献するというやる気の表れでもある。
 だから、読み手を選びなさい。何か書きなさい。」

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自分で考えたことを書き留めろ。


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posted by Fukutake at 13:01| 日記

2020年01月28日

倦む事なかれ

「医師は最善を尽くしているか Better: a surgeon’s notes on performance」 アトゥール・ガワンデ 原井宏明訳 みすず書房 2013年

あとがき より
医学生への五つのアドバイス(その3)
p234〜
 「三番目のアドバイスは、「何か数えろ」である。われわれはこの世界についての科学者にならなければならない。もっとも単純化して言えば、これは数えることである。実験室のペトリ皿に載った細胞のなかから、特定の遺伝子異常をもったがん細胞を数える。臨床医も治療で合併症を生じた患者の数を数えられる。決まった時間に何人の患者を診たか、何人が外で待っていたかでもいい。数える対象は重要なものでなくていい。研究費も要らない。何かを数えるかについてただ一つの要件は、それがあなたにとって興味を惹く対象だということだけだ。
 私がレジデントだったとき、手術後に患者さんの体内に器具やガーゼなどをおき忘れることがどのくらいあるのか数えはじめた。滅多に起こらない。手術一万五000回に一回の割合で起きることを発見した。…
 決められたようにガーゼの数を数えることを看護師が怠ったからなのか、看護師の数が不足していると警告したのに医師が無視したからなのかを知りたいと考え、ミスが起きる原因の数を数えてみた。どちらも滅多に起こらないことがわかった。そうするうちに、もっと洗練された数え方をするようになった。器具が体に残された患者と、そうならなかった患者を比較するようにしたのである。こうしたミスは緊急手術を受けた患者や、予定外の方法による手術を受けた患者、たとえば、虫垂炎の手術をするつもりで開腹したらがんが見つかった場合に圧倒的に多いことを発見した。
 数字に意味が見えてきた。ガーゼや器具を看護師が手術中に数えるのもミスなしに行うのは大変である。それが緊急状態だったり、手術が途中で変更になり、他の器具を新たに持ちこまなければならないとなると、さらに大変なことになるのは理解できる。こうしたとき、私たちがやりがちな、ミスを犯した者を罰するというやり方では問題を減らせないことにも気づいた。技術的な解決だけが減らしてくれる。そして、器具やガーゼの動きを自動的に追跡できる機械を他の同僚とともに私も使うようになった。
 何かを数えて、その結果が興味深いと思ったならば、あなたは面白いことを学ぶことになるだろう。」

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まずデータを集めろ。

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2020年01月27日

ニューロン!

「DNAに魂はあるか 驚異の仮説」 F.クリック 中原英臣・佐藤峻 訳 
 講談社 1995年
(その1)

ニューロン結合
p280〜
 「人間が何かを見ているときに、脳では何が起こっているだろう。人間が見ることのできる物体は、ほとんど無限に近い。そんな無数の対象物の各々に一個のニューロン − しばしば祖母細胞と呼ばれる − を対応させることは不可能である。奥行き、動き、色、方向、空間的位置など異なる無数の対象物が、何通りの状態を取り得るかという組み合わせは天文学的な数字になる。その一つ一つにニューロンを対応させるのは無理だが。しかし、人の顔といった生態学的意義の大きい特殊な物体については、それに反応するニューロンのグループが存在することは考えられる。
 ある瞬間、視野に見えているどの物体も、それぞれ、一組のニューロンの発火によって表現されると考えることは許されるだろう。どの物体も、いくつかの異なる視覚野で処理される特徴(形、色、動きなど)を持っているので、何か一つの物体をみているときでも、多くの視覚野のニューロンが働いていると考えることは理にかなっている。
 これらのニューロンが、なぜ位一時的にグループとして活動するのかという問題は、しばしば「結合問題」と呼ばれてきた。一個の物体が見えるというとき、往々にしてそれは聴覚や嗅覚、触覚などでも感受されるので、視覚以外の知覚との結合もまた考える必要がある。
 人間の五感が統一性を保っているのは、脳が、対象物の持つさまざまな特徴に反応するニューロンを整合性のある方法で結合させているためであろう。今、あなたは熱弁を振るっている友人の顔に注意を集中しているとしよう。彼の顔の動きに反応するニューロン、顔の色に反応するニューロン、その口から出てくる言葉に反応する聴覚野のニューロン、さらには誰の顔かを見分ける記憶の痕跡までが、その友人の顔を知覚するために、“結合”している。そしてこれらすべてのニューロンが一緒になって、その特定の顔という知覚対象を作りあげているのである。(腹話術師の声が人形から出ているように聞こえるときのように、脳がだまされて誤った結合を作り出すこともある)。」


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(私の言う驚異の仮説とは、あなたが無数の神経細胞の集まりと、それに関する分子の働き以上の何ものでもないという仮説である。− フランシス・クリック)


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