2019年10月21日

自分を見る鏡としての歴史

「小林秀雄対話集 直観を磨くもの」小林秀雄 新潮文庫 2014年
(その2)

p470〜
 「… 昔の人は、面白くない事実など、ただ事実であるという理由で、書き残して来た筈はない。あんまり面白い事があったから、語らざるを得なかったのだし、そういう話は、聞く方でも親身に聞かざるを得なかったのだ。こんな明瞭な歴史の基本の性質を失念してしまっては仕方がない。歴史を鏡と言う発想は、鏡の発明と共に古いでしょう。歴史を読むとは、鏡を見る事だ。鏡に映る自分自身の顔を見る事だ。勿論、自分の顔が映るとは誰もはっきり意識してはいない。だが、誰もそれを感じているのだ。感じていないで、どうして歴史に現れた他人事に、他人事とは思えぬ親しみを、面白さを感ずる事が出来るのだ。歴史を語る他人事を吾が身の事と思う事が、即ち歴史を読むと言う事でしょう。本物の歴史家が、それを知らなかったという事はない。そういう理想的読者を考えないで書いた筈はないのです。古い昔から私達が歴史家の先祖と考えてきた司馬遷が、どんな激しい動機から歴史を書いたかは誰も知るところだ。
 歴史における実証主義などという、近ごろの知識人の頭脳を少しばかり働かした思想などで、人間の歴史の基本的な性格がどうなるものでもないではないか。世の有様が、鏡に照らしてみるが如く、まざまざと読むものの心眼に映ずる、これが史書を「鏡もの」と呼んだ理由でしょう。まざまざという日本語の味わいを、よく噛みしめてみるがよい。現代は言語の知的発明や使用が盛大だが、古くからある言語というものは、すべて直かな生活経験の上に立つものだ。まざまざと見える歴史事実というものが、先ずあったのである。先ず僕ら文学者に親しい事実があったのだよ。
 歴史的事実は、そのどうにもならぬ個性、性格をまざまざと現しているものとして、即ち歌い物語る事が出来るものとして、先ず我々にその姿を現したものなのだ。このようなものの認識を、宣長は、今を昔に、昔を今に、「なぞらえる」という言葉で言ったのだ。歴史事実に行きつく外の道はないのだ。我が身になぞらえて知る歴史事実の知識は、直かな知識だが、個性を離れた一列一体の事実、その間の因果関係というようなものは、ただ嘘ではないという間接的知識に留まる。ただ、嘘ではないという知識も大変応用は利く。それを現代人は技術の上で極度に利用していることは言うまでもない。あんまり利用が出来過ぎて、みんな不安になっている。」

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歴史鏡
posted by Fukutake at 09:05| 日記

2019年10月17日

生きて知る今

「小林秀雄対話集 直観を磨くもの」小林秀雄 新潮文庫 2014年
(その1)

p460〜
 「日蝕の予言は現在の知識で、未来が見えたという事ではない。そこには時間というものがまるで経っていないからだ。これはベルグソンから叩き込まれた教えだが、未来学者が現在を未来に仕立て上げるのもその手だよ。彼らの仕事が常識を離れるのは、常識が体得している時間性が彼らの仕事には欠けているからだろう。
 君は現在は不可解だという意味は、それは生きて知るより外はないものだという事だろう。誰だって、めいめいの不可解な過去の重みを背負って生きているんだ。そういう現実の生活の味わいの中からしか文化は生まれはしない。そういうちゃんと目方のかかったものを、机上の未来などと交換は出来ないと言うのだ。
 過去という話になったんで、また唐突な事を言うようだが、今西さんという人の思想にはね、これは多分私の読み違いではないと思うが、人類はその驚くほど永い過去の蓄積によって、今日、種として完成しているという思想がある。こういう生物学的な根拠の上に立った審美学的思想は、なかなか面白いな。また大変真実なものと私には思われる。
 人類の生物学的構造は、言ってみれば、バイオリンという楽器の如く完成されていて、進歩など考えられない。それだからこそ、バイオリニストに、新しい創造という事が可能になるのだ。
 芸術家や詩人の文化との係わりは本来そういう沈着なものなのだが、これも未来学など流行し出しては、追っ払われてしまうものさ。日本の近世の古学の優秀なものが説く尚古思想に、僕らを動かす真実があるのは、それが歌というものと固く結ばれているからだ。」

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生きてみないと分からない今
posted by Fukutake at 12:35| 日記

2019年10月16日

妖怪

「妖怪談義」柳田國男  講談社学術文庫 1977年

幻覚の実験
p67〜

 「…奥羽の山間部落には路傍の山神石塔が多く、それがいずれもかつてその地点において不思議を見た者の記念で、たいていは眼の光った、せいの高い、赫赫とした裸の男が、山から降りて来るのに行き逢ったという類のできごとだったということは、遠野物語の中にも書き留めておいたが、関東に無数にある馬頭観音の碑なども、その形が熊ん蜂を少し大きくしたほどもので、羽色が極めて鮮麗であった。この物が馬の耳に飛び込むと、馬は立ちどころに跳ねあがってすぐに斃れる。あるいは又一寸ほどの美女が、その蜂のようなものの背に跨って空を飛んて来るのを見たという馬子もある。不慮の驚きに動顚したとは言っても、突嗟にそのような空想を描くようなかれらではない。すなわち馬の急病のさし起こった瞬間の雰囲気から、こんな幻覚を起こすような習性を、既に無意識に養われていたかもしれぬのである。
 わが邦の古記録に最も数多く載せられていて、しかも今日まだ少しも解説せられていない一つの事実、即ち七つ八つの小児に神が依って、誰でも心服しなければならぬような根拠あるいろいろの神秘を語ったということは、この私の実験のようなものを、数百も千も存録して行くうちには、またもう少しその真相に近づいて行くことができるかと思う。「旅と伝説」が百号になったということが、ただ徒然草のむく犬のようなものではないのならば、今度は改めて注意をこの方面に少しずつ向けて行くようにしたらよかろうと思う。いわゆる説明につかぬ不思議というものを、町に住んでいて集めようというのはやや無理かも知らぬが、それでも新聞や人の話、又は今までの見聞中にもまた少しずつは拾って行かれる。実は私もだいぶたまっているつもりだったが、紙に向かってみると今はちょっとよい例が思い出せないそのうちにおりおり気づいたものを揚げて、同志諸君の話を引き出す糸口に供したいと思っている。」

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「昔は今よりものを信じ得る範囲はずっと広かった」
posted by Fukutake at 11:19| 日記